どうも、おっさんです。
前回の記事にも関連していることで、「出る杭は打たれる」という風潮は良くないので、そういう行動をする人たちが悪い!無くすべきだ!って思う人はけっこういると思います。
それに対して、松下幸之助の名言として「出すぎた杭は打たれない」というのがあります。これは「能力が突出していれば誰も嫉妬しなくなる」(だから打たれなくなる)という意味で捉えられています。それに、妨害があったとしても意味がない程の状態になっているとも言えます。
なので、単純に「能力が突き抜けている状態になればいいんだ」と思うかもしれないですが、本質はそこじゃないです。
まぁ、こういう話は既に言われていることなのですが、例えば
こちらの記事でも書かれています。
「出すぎた杭」と「出る杭」の違いが能力の”上下の差”だとしたら辻褄の合わない部分が出てきます。何故なら「出すぎた杭」になる過程で必ず「出る杭」の状態になってしまうからですね。
つまり、「出すぎた杭」と「出る杭」は能力の上下差ではなく、元々の状態が違っているということです。(能力差がなくても違いがあるということ)
上で紹介した記事ではその辺りの事を戦略的要素として書かれているのですが、これらの話は
「ダニング=クルーガー効果」や「ヤンテの掟」と根本的に同じ話です。
で、結局は”承認欲求”に帰結することになります。
出る杭を打つ人も打たれる人も立ち位置が違うだけで同じなんですよね。
場面によって入れ替わるだけで延々と同じことを繰り返している状態。
嫉妬も優越も相手を下に見ている状態だから。
そこから抜け出した人が「出すぎた杭」になるわけなんですが、それは能力が突き抜けているということではなくて、単に目の前の物事を客観的に見れていてメタ認知ができているということなんですね。