どうも、おっさんです。
前回の
記事で「視野の広さ」の話をしたのですが、これを掘り下げてみます。
「視野が広い」とは、思考や知識の幅が広い状態のことを一般的には言うようですが、では知識がなければ「視野が狭い」と言えるのかというと、そうではないと私は考えます。
何故かというと、幅広い知識があるとしてもその知識の中でしか思考できなければ、その知識以上の思考は生まれないからです。その状態では思考に限りが生まれてしまうわけですね。
思考に限りがあるということは「新たなことを知ることができない」ことになり、結局「視野が狭い」状態になってしまいますよね?
つまり、「視野が広い」というのは知識の広さや量に関係なく、単純にその人が
”知ろうとしている状態”
だということになります。
知ろうとした結果、知識の幅や量が増えるだけのことですね。
これは、「無知の知」の話で”知らないことを知っている”状態のことなので、大昔から言われていて珍しい話ではないのですが、ほとんどの人はこれをよくわかっていません。
よくわかっていないから悪いという話ではなくて、大昔から言われていることなのに何故ほとんどの人はこれを理解することが難しいのか?ということを考えなければいけませんよね?
そもそも、”知ろうとしている状態”とは「主体的」のことなので、正規分布で考えるとその状態の人は少数派になります。多数派の「受動的」な人は知ろうとしている状態ではない、あるいはその状態になることが難しいということです。
で、「主体的」なのはエネルギーが大きいから主体的なのであって、”知ろうとしている状態”とはエネルギーが大きい状態と言えます。
エネルギーは局所的に発生して個別に作用しているのではなく、まず全体のエネルギーがあってそれが分散しているだけなので、正規分布で見られるように大きなエネルギーが流れる場所は少なく、その大きなエネルギーのある場所でしか”知ろうとしている状態”は発生しないので、その状態にある人が少数派なのは必然になります。
このように、「視野の広さ」という事柄を見てみても、全体のエネルギーの中でのバランスによって成り立っているということがわかるのですが、前回の「コラテラルダメージ」や「陰陽」もそういうバランスの話で、絶対的に「良い状態」というのは存在しないということになります。
これらは全て繋がっていて、その本質がどこにあるのかを考えてみると、全体のエネルギーがただ拡散しているだけだということになります。