おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

思考整理(2)

どうも、おっさんです。

 

前回の記事

 

nicolarossi.hatenablog.com

のつづき。

 

生まれ育った環境によって人の特性は違ってくるのだから、ある事柄に対しての適応状態はそれぞれ人によって違っていて、それは環境に対する適応が違っているのだから、適応状態の良し悪しはその人が努力をしたかしてないかではないですよ、ということを書いています。

 

が、ほとんどの場合これを素直に理解することができないです。

何故なら、「いや、できる人は努力してるじゃん」ってなるから。

 

しかし、その「努力」に見える行動自体が環境に適応した結果なので、結局は環境依存の出来事でしかないんですね。「努力」をしたからできるようになったわけではなくて、環境に適応した結果その行動をしているだけという話です。

 

 

ハビトゥス」という概念があるのですが、これはフランスの社会学ピエール・ブルデューによって提唱されたものです。ブルデューが考え出したというよりも、元々昔からある考えを昇華させて示したのですが。

 

細かく説明すると長くなってしまうので詳しくは各自で調べてみてほしいのですが、簡単に「ハビトゥス」を説明すると

 

”無意識下で行われる行為の方向性”

 

です。

これには習慣性があるが、その習慣を機械のようにただ繰り返すだけではなく、ある程度の柔軟性をもって状況に合わせて変化もしていきます。無意識なのでほとんどの場合本人は気付くことがありません。

 

気付かないので、その行為を「努力」で得たと勘違いします。

 

 

似たような概念で「暗黙知」というものもあって、これは

 

”無意識下にあり言語化されない経験的な知識”

 

のことです。

言語化されていない無意識下で行われている判断は「暗黙知」によるもの。

 

これも、その人の経験で得た「暗黙知」によって判断されている事柄を、ほとんどの場合本人は気付くことがありません。

 

その結果、他人に何かを伝える場合に、本人が無意識に行っている「暗黙知による判断」を伝えることができないので、相手はその判断が出来ず上手くいかない場合があります。

 

 

これらのことから、この構造を理解していない人がある事柄に関して「マニュアル(明文)化」してその通りにやれば(努力すれば)、その事柄が出来るようになるというのは間違っているとまでは言えないけれど、適切ではないだろうということがわかります。

 

「マニュアル化」されている通りにやったら上手くいったという場合は、

 

1.その事柄に関して必要なハビトゥス暗黙知を元々持っていた

2.明文化されていないハビトゥス暗黙知を探れる能力がある

 

このどちらか、あるいは両方が備わっている人だろう。

 

であるならば、結局のところ経験値であるハビトゥス暗黙知を獲得しなければ上手くいかないということになる。

 

つまり、そもそも経験(実践)しなければ何も得られないということだけど、マニュアル通りにやっただけでは本当の経験にはならず、そのマニュアルからハビトゥス暗黙知を探らないといけない。

 

もっと言うと、その事柄に必要なハビトゥス暗黙知を探る能力があればマニュアルは”いらない”ということにもなる。

 

で、その必要なハビトゥス暗黙知を探る能力自体がそれまでの経験によって獲得されているものなので、生まれ育った環境によって適応できるかどうかが大体決まってしまうということになるわけですね。

 

 

この構造を理解していれば安易にマニュアル化はしないし、”努力をすれば出来るようになる”なんてことは言わなくなる。

 

しかし、理解することができないことがほとんどなので、”努力しているかしていないか”という捉え方でしか人や物事を判断できないのが現状の社会ということです。

 

一般的認識の「努力」とは関係ないので、努力しようがしまいが上手くいく人といかない人が出てくるわけですね。すると、「努力しているのに~」と不満を持つ人も発生します。

 

「努力すること」がその人にとっての価値になっているのですが、それはそもそも「努力すれば評価される」という勘違いが元です。さらに掘り下げると、「評価されるにはどうすれば良いか?」という思考が出発点になっているんですね。

 

そういう価値観で社会の構造が出来上がっているので、そこから抜け出さない限りひたすら辻褄の合わない矛盾状態が続き、どうすればいいのかわからなくなるわけです。

 

とは言っても、それはハビトゥスによって方向付けされていることなので、抜け出すのは難しい。