おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

駆除

どうも、おっさんです。

 

nicolarossi.hatenablog.com

ロッコ問題では、「5人を救う為に1人を犠牲にしても許される」と考えている人が多いけれど、その犠牲者が家族や友人であれば救いたい、という矛盾があることがわかりますし、

 

nicolarossi.hatenablog.com

自動運転の例では、「法律を守ってない人を犠牲にしても許される」と考えている人が多いけれど、その考え自体が法治主義に則っていないので、自分自身が「法を守ってない人」になってしまうという矛盾が起きてしまうこともわかりました。

 

これらを見てわかるのは、「人間は矛盾している」ということです。

何故、矛盾した状態をおかしいと思わないのか?

 

これを、「自分が正しい」という”思い込み”と言っています。

 

この思い込みがあると、あらゆる場面で「自分の正しさ」を証明しようとしてしまい、物事を正しく見ることができなくなってしまうんですね。

 

 

テレビで「珊瑚を保全する為にヒトデを駆除している」という人が紹介されていました。その方はボランティアでやっているそうで、そういう部分も含めて”素晴らしい人”というような紹介のされ方でした。

 

おそらくほとんどの人がこのような活動を好意的に見るでしょう。

それは珊瑚を美しいと思う人が多いからです。

だからテレビで紹介される。

 

「珊瑚を守る為にヒトデを犠牲にしても許される」

 

というわけですね。

ヒトデは大量発生することがあるし、珊瑚と比べると価値が低いから許される。

 

ヒトデが大量発生する原因はまだよくわかっていないようですが、人口が多い地区の生活排水が流れ込みやすい場所で起こりやすいなど、その他も含めて人間の活動が影響している可能性があるのではないかと考えられています。

 

一方で、そもそも大量発生のサイクルは自然現象で、珊瑚もヒトデも増えたり減ったりを繰り返しながら、今の状態になっているだけだという考えもあります。

 

人間は珊瑚が減るのが困る(見た目はもちろん、観光業や漁業への影響がある)から、ヒトデを駆除しても良いと勝手に思っているだけです。

 

このような活動をボランティアでやっているから素晴らしい、と思うのは人間の勝手な思い込みなんですよ。

 

このボランティアの方がどうしてこのような活動をしているのかを考えてみると、これも”ハビトゥス”で説明できます。

 

ハビトゥス=環境に適応することで獲得した無意識下で行われる行為の方向性

 

ハビトゥスによって、海が好き>海洋生物が好き>珊瑚が好き、というように方向性が収束していくことによって、勝手にボランティア(見返りを求めない状態)になるわけですね。

 

それはその人が好きでやっていることなのだから、その行動自体に価値があるわけです。見返りがいらなくなると捉えることもできますが、そもそも好きなことだから初めから必要ないんですね。

 

でも、ヒトデ側から見たら駆除されるわけですから、それを”良いこと”とは思わないですよね?っていう話です。

 

ヒトデも生まれてくる環境があって生まれてくるわけで、珊瑚を食べることもヒトデの活動の一部なのだから、それもハビトゥスによって方向性が収束した結果起こっている現象に過ぎない。

 

結局、人間もヒトデもやっていることは同じなわけで、それに良し悪しなんてないことになってしまう。

 

でも、人間の方が力関係が上だからヒトデは駆除されてしまうというだけです。

 

 

もし、人間より上位の生命体がいて「人間は価値がない」と判断したら、ヒトデと同じように駆除されてしまうのですが、その時に人間はどう思うんでしょうか?