おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ。

もう今年も終わり。

どうも、おっさんです。

 

2022サッカーワールドカップを見ていて思ったことを書きたいと思います。

 

日本代表は今回のワールドカップで、「スペイン・ドイツ・コスタリカ」とのグループに決まった時からグループリーグ突破が厳しいと言われていて、直前のテストマッチでもカナダに敗れたことから絶望視する声も多かったように思います。

 

しかし、蓋を開けてみれば2勝1敗で一位通過。勝てるだろうと予想していたコスタリカに負けて、難しいと言われていたドイツとスペインに勝った。

 

ドイツのマスコミは日本がテストマッチでカナダに敗れたのを見て、「日本を恐れる必要はない」というようなことを書いていました。

 

私はこれを見た時に「やってみないと分からないのになぁ」と思うのと同時に、「そうは言ってもドイツの監督や選手は油断してないだろう」とも思ったのですが、試合後のドイツ選手のインタビューを聞いてみるとそうでもないのかと感じました。つまり、ドイツ代表は「日本に勝てるだろう」と思っていたということです。

 

日本代表がドイツやスペインに勝ったことを「奇跡」と言っている人が多いですが、私はそうは思わなくて「やってみないとわからない」という感じで見ていました。勝つか負けるかは実際にやってみないと分からないことなんですよね。

 

もちろん、過去の戦績などからある程度の予測はできて、それを基に結果を予想することはできますが、それは予測予想であって実際の結果とは違うものです。

 

過去にそうだったものが今もそうであるとは限らないわけです。

物事は常に移り変わっているから。

 

「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ。」

 

これは、元ドイツ代表のベッケンバウアーが言った言葉として有名ですが、昔から他でも用いられていて、大元は聖書から引用されているようです。

 

伝道者の書 9章11節

わたしはまた日の下を見たが、必ずしも速い者が競争に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また知識ある者が恵みを得るのでもない。しかし時と災難はすべての人に臨む。

 

日本代表がドイツやスペインに勝ったことに絡めて「強い者が~」という言葉を使っているわけですが、この言葉の一般的な解釈を見ていると

 

勝った方が「強い」という”称号”を得られる

 

みたいな感じで受け止められているように感じました。どういうことかというと、日本代表がドイツやスペインに勝ったのは「奇跡」であって「本来の実力ではない」と捉えられていて、だとしても勝ったのだからそれは「強い」と言っても良いというようなことです。

 

しかし、この言葉の本質はそういうことではなくて単に

 

「やってみないと結果はわからない」

 

ということなんです。

「勝った方が強いという称号を得られる」のであれば、「強い(と言う称号を得られている)者が勝つのではない」によってその称号は取り消されてしまうからですね。矛盾しているわけです。

 

この矛盾がどこから来ているのかと言うと「予想や予測」からです。実際には勝つか負けるか結果はやってみないとわからないのに、「勝つだろう(負けるだろう)」という予測予想をして”思い込んでいる”からなんですね。

 

日本代表が勝って人々が奇跡と言ったりするのは、日本代表が負けるだろうという予測予想をして”思い込んでいる”だけなんですよ。

 

ももいろクローバーZの「GOUNN」という曲の歌詞に

ほんものの奇跡は よい因果応報の果て

奇跡じゃなくて自分の中から みちびく 未知の力

というフレーズがあります

 


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私はこの通りだと思っていて、一般的な「奇跡」の認識は「起こりえないことが起こった」なんですが、そうじゃなくて因果応報によって「起こるべくして起こる」わけです。

 

この辺りは元日本代表監督の岡田武史氏も


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この動画の中で

 

「今までの積み重ねが”ご褒美”としてあらわれた」

 

というように言っています。

前にも書きましたが、一般的な”因果応報”の認識は「悪いことをしたから悪い結果があらわれた」というように捉えられています。しかし、因果応報は良い意味もあるので「善いことをしたから良い結果があらわれた」とも言え、まとめると

 

”何かをするとその結果があらわれる”

 

という単純なことです。

で、日本代表はドイツやスペインに勝ったという”結果”があらわれたのは、「今までの積み重ね」という原因によってなので、「起こりえないことが起こった」という奇跡ではないんですね。

 

他に、スペイン戦での三苫選手のゴールラインギリギリでのセンタリングに対しても、「諦めなかったから」っていう捉え方をされていますが、諦めるとか諦めないとかの問題じゃなくて、三苫選手のこれまでの積み重ねがあのプレイにあらわれただけなんですね。

 

「強い者が勝つ」ような気がするのも、そうじゃなかった時に「奇跡」が起こったと感じるのも、予測や予想によって”思い込んでいるだけ”だということです。

 

やってみないと結果はわからないのに。