どうも、おっさんです。
北欧諸国は福祉が充実していたりすることから、比較して平等社会であることが知られていますが、これを示すものとして「ヤンテの掟」という暗黙の定めがあるそうです。
これ自体は1933年にデンマークで出版された小説の中で「ヤンテの掟」として明文化されただけで、不文律としては昔から北欧諸国の人々には知られているということです。
その「ヤンテの掟」とはどういうものかというと
1.自分が”ひとかど”の(優秀な)人物であると思ってはいけない
2.自分が我々と同等であると思ってはいけない
3.自分が我々より賢明と思ってはいけない
4.自分が我々より優れているという想像を起こしてはいけない
5.自分が我々より多くを知っていると思ってはいけない
6.自分が我々を超える者であると思ってはいけない
7.自分が何事かをなすに値すると思ってはいけない
8.我々を笑ってはいけない
9.誰かが自分の事を顧みてくれると思ってはいけない
10.我々に何かを教えることができると思ってはいけない
という条文で、「我々」とはその所属している社会のことです。
あるいは、「他者」と読み替えてもいいでしょう。
簡素化すると「自分が社会の中で”優れている”と思ってはいけない」ということですね。これが、「平等精神」を表しているとされています。
自分が優れていると思うということは、「自分を優遇される存在だと思っている」ということなので、そうなると平等ではなくなるわけです。
ここで一旦、平等か平等でないかは置いといて、私が前に書いた記事を見てみます。
「ダニング=クルーガー効果」を取り上げた記事ですが、これは
「自分の能力が不足していることに気付かず、自身を過大評価してしまう」
という心理現象のことです。
「ヤンテの掟」と繋がりがあるように見えませんか?
「ダニング=クルーガー効果」に陥って”いない”人は、自身を過大評価せず自分の能力がやろうとしていることに対して”足りているかどうか”がわかる状態です。つまり、
「自分の実力がわかっている状態」
ということになります。
これは、勘違いしやすいですが、その人のその時点での能力が「高いか低いか」は関係ありません。相対的に他人より低い場合でも高い場合でも「自分の実力がわかっている状態」は存在するからです。
こういう「ダニング=クルーガー効果」の勘違いポイントとして、「能力が低いから自分の実力がわからないんだ」と思われがちですが、その逆に「自分の実力がわからないから”能力が低いまま”」という構造が発生しています。
自分の実力がわかっている状態であれば、それに対しての対処ができるようになるので、結果として能力が上がっていきます。
その能力が上がった状態の人を一般的に「有能」と言いますが、その有能な人の本質は「自分の実力がわかっている人」ということです。能力が高いか低いかではなくて、そもそもの本質が違っているということになりますね。
「ヤンテの掟」に話を戻すと、近年はこの内容を疑問視するような声も上がっているようで、あまり肯定的には捉えられてないようですね。
その内容から「同調圧力」と捉えられたり、日本社会でもよく言われる「出る杭は打たれる」に繋がる考えだとも言われているようです。
”出る杭は打たれる”とは、
「才覚をあらわす者は妬まれ妨げられる」
ことのたとえとあります。
そもそも、妬み(嫉妬)とは「自分より優れていると感じる人」に対して起こる感情ですが、この感情を心理的に掘り下げると
「相手が自分より下」
だと思っているってことなんですよ。
「”本当は”自分の方がその人より優れているのに!」っていう心理です。
”本当は”っていうのは自分が勝手に思っているだけなんですが、これこそが「自分の実力がわからない状態」なんですね。
嫉妬している人の中では「自分の方が優れている」となっているので、現実をそれに合わせる為に相手の妨害などをして「出る杭を打つ」行動を起こすわけです。
「ヤンテの掟」には、”自分が我々(他者)より優れていると思ってはいけない”と書かれてあるので、その通り実践できていれば嫉妬は起こらないし、それによって「出る杭を打つ」行動を起こす人もあらわれないことになります。
あれ?「ヤンテの掟」が出る杭を打つ風潮を広めるという捉え方は間違えてますよね?「ヤンテの掟」こそが出る杭を打つ構造を破壊するものとなっています。
これらのことから、「ヤンテの掟」を正しく理解する人だけになった世界を想像した場合、
・自分の実力がわかっている状態で能力を伸ばしやすくなる
・その能力に対して嫉妬が起きないので他者から妨害されない
・自分も他者に嫉妬しないので自分の能力に集中できる
・それが全ての人に起こるのでみんなの能力が上がっていく
・著しく能力が低い人が少なくなる
・能力が高い人が多くなり他者を助けやすくなる
ということになります。
ただし、能力というのは人それぞれ違うので”結果が平等”になるわけではありません。他者の妨害をせず”機会を平等”にするということですね。
もし、「ヤンテの掟」の逆だった場合
・自分の実力がわからない状態で能力は伸びにくい
・能力が伸びたとしても嫉妬されて他者から妨害される
・自分も他者の能力に嫉妬して自分の能力に集中できない
・全ての人が妨害しあいみんなの能力が下がっていく
・能力が低い人が多くなる
・能力が高い人が少なくなり他者を助けられなくなる
おそらく、北欧諸国では昔からそれを理解していて、まず「機会の平等」で人々の能力を発揮しやすいようにして、それでも補えない部分を補助する為に社会福祉に力を入れていたということなんだと思います。
つまり、社会福祉ありきではなくて、まずはそれぞれ個人の意識が大切なんだということで、日本でも言われる「自助・互助・共助・公助」という精神だと言えます。
しかし、近年は「ヤンテの掟」も否定的に捉えられるようになってきたということは、北欧諸国でさえもこれらのことが理解されなくなってきたということですね。
あと、「自分が我々より優れているという想像を起こしてはいけない」というのを、「他者より優れてはいけない」と勘違いしているというのも考えられます。だから「同調圧力」と捉えてしまうのでしょう。
これちょっと理解が難しいかもしれないポイントなんですが、そもそも「ヤンテの掟」を理解(実践)できている人は、”自分が他者より優れているかどうか”ということにこだわりがない(執着していない)状態なんですよ。
だから、「優れてはいけない」じゃなくて「想像を起こしてはいけない」なんですね。
このように「ヤンテの掟」はかなり有用な考え方ではないかと思うのですが、否定的な意見も出るようになっているので、理解ができない人が増えているということなんでしょう。
「ダニング=クルーガー効果」で示された内容も含んでいるし、同じように昔から言われている「無知の知」とも本質的には同じだとわかると思います。