おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

実は、ロードバイクが長距離移動に向かないということに気付いた人は意外と多い

どうも、おっさんです。

 

ロードバイクを趣味にしたら何をしますか?

そう、ロングライドですね。

 

ロングライドというのは大体100km以上を言うそうです。

なので、ロードバイクを買った人はそれを目指します。

何故、目指すのかというと、ネット等でそう言われているからです。

それ以上でもそれ以下でもありません。

みんながやってるからやる。

そんなもんです。

 

で、実際にやってみます。が、運動経験のある人なら問題ない人もいるかもしれませんが、大抵の場合100km~を自転車で走るなんて時間もかかるし、しんどいし、なんやかんやで疲れます。何回かやってみますが、トレーニングもしてない素人には荷が重いんですね。それを続けた人(最低でも1年以上程度)はある程度慣れて走れるようになるのかもしれませんが、ほとんどの人が「ロードバイクってこんなにしんどいの?」と思って辞めていくんですね。

 

本当かどうか知りませんが、ショップの話によると「ロードバイクを買った人で、1年後にも残っている人は1割以下」だそうです。つまり、興味を持ってロードバイクに乗り始めた人でも、辞めてしまう人がほとんどということですね。

 

自転車はほとんどの人が子供の頃に乗り始める移動手段です。

乗ると楽しいですが、移動手段としては他の乗り物(電車・自動車等)の方が効率がいいので、乗らなくなります。それは、主に「移動手段」として全ての乗り物を見ているので、「効率重視」になってしまうからです。

 

ロードバイクって根本的に「移動手段」ではないんですね。

舗装路を高速で走る為の自転車が、ロードバイクです。

どこかに行くのが目的の自転車ではなくて、速く走る為の自転車です。

だから、レースで使われているんですね。

 

ところが、ほとんどの人はロードバイクを「移動手段」として見ています。

速く走れるママチャリ程度に思っている人が多いでしょう。

もちろん、人力なのである程度は「労力」が必要とはわかっていますが。

でも、実際に一般素人が乗ってみると「しんどい」が大きく映ってしましまいます。

 

「速く走るのがしんどい」とも思いますが、ほとんどの場合は

 

「全部しんどい」

ロードバイク自体がしんどい」

 

と思うでしょうね。

それは何故か?

 

ロードバイク特有の前傾姿勢

 

です。

前にこの記事で書いてますが

nicolarossi.hatenablog.com

ロードバイクに乗る場合、一般素人が一番苦痛に思うのが前傾姿勢で、それが何故辛いのかというと一般素人(初心者)は速く走れないからです。速く走れない(走らない)場合の「前傾姿勢」は苦痛にしかなりません。

 

記事内で書いていますが、私も速く走らない場合は上ハンを持ってなるべく前傾姿勢にならないようにします。それは、速度が出ていない状態で前傾姿勢をとっても、無駄に前のめりになって腕や肩や背中の筋肉で上半身を支えなくてはいけなくなるからです。そうなると、短時間はいいかもしれませんが、長時間は苦痛に感じてきます。

 

ロードバイクがどうして前傾姿勢で乗るようになってるのかというと速く走る為です。

遅く走るんだったら、前傾姿勢は必要ないし苦痛にしかならないんですね。

 

 

一般素人は「速く走れない」のです。

遅く走る場合の前傾姿勢は苦痛なのに、それでロングライドするんですか?

だから、9割は1年以内に辞めちゃうんですね。

 

つまり、その9割の人は

 

ロードバイクは長距離移動に向かない」

 

と気付いた人なんですよね。

 

多くの人が勘違いしていると思うんですが、ロードバイクは速く走る為の自転車なので、速く走ろうと思って走らせたら速く走れます(その為の体力技術は必要です)。で、その結果、時間換算で「遠く」まで行けるというだけです。速く走った結果、遠くまで行けた。ということですね。

 

「遠くまで行けた」というのは結果論で、ロードバイクの本質は「速く走る」ということです。

その本質を無視して「遠くまで行ける」と勘違いしているだけなんですね。

 

速度関係なく遠くまで行けるというのであれば、ママチャリでも可能ですよ。

もちろん、その人の体力次第ですが。

その体力がロードバイクなら全然いらないっていうわけではないのですね。

 

私が思うのは、初めに「ロードバイクに乗ってみたい」という出発点があって、乗ってみて何をするか?と考えた時に「ロングライド」っていうのがそもそもの間違いなんじゃないか?ということです。もちろん、それで事が進む人もいるのでしょうが、そうならない人の方が圧倒的に多いと感じています。

承認欲求のメカニズム

どうも、おっさんです。

 

先月からグダグダと記事にしてきていますが、初めにこの

nicolarossi.hatenablog.com

記事で書いたように、スポーツ自転車ブームの理由は「承認欲求」を満たすための、新たな価値観に過ぎませんよということなんですよね。どう見ても「自己実現欲求」の段階に入ったようには見えません。

 

では、そもそも「承認欲求」という欲求はどうしてあるんでしょうか?

どうして、「他人に認められたい」と思うのでしょうか?

 

私は、動物としての本能的な部分の欲求だと考えています。

動物は群れを作って行動しています。

 

何故でしょう?それは突き詰めると

 

「生きるのに都合がいいから」

 

なんですよ。

外敵から身を守るのにも好都合だし、繁殖もしやすくなります。

 

人間の場合も外敵から身を守る為とか、子孫を残すのにも都合がいい。

群れの中に居ることで「安心感」が生まれる。

逆に群れから離れると「不安感」が生まれる。

なので、群れの中に居ようとするのは本能的な欲求なんですよね。

 

人間は考えることのできる動物なので、例え群れの中にいたとしても自分が必要とされているかどうかを考えてしまいます。もし群れから「こいついらない」と思われたら、その群れの中に居られなくなるかもしれないですから。ただ群れの中にいるだけでは「安心感」は続かないんですね。

 

そこで、「他人に認められたい」という承認欲求が出てくるわけです。

群れの中で生きる場合に「認められている」状態の方が生きやすいという考え。

(遺伝子レベルで集団形成を促しているのでしょうか?)

 

人間の場合、一番小さな群れは「家族」ですよね。

大抵の場合、家族間は愛情で結ばれています。(例外もありますが…)

なので、そんなに大きな「承認欲求」を求める行動は発生しないでしょう。

 

問題は、それより大きい群れ(集団)での話ですね。

 

自分が褒められると「嬉しい」と感じます。

元々、これが承認欲求が満たされた状態です。

でも、何でもかんでも褒められるわけではありません。

承認欲求が強いと「褒められよう」として行動するようになります。

 

ここがポイントです。

 

自分の行動 > 褒められる > 嬉しい(満足)

 

これが、元々ある流れです。

でも、これが

 

褒められたい(不満) > 行動 > 褒められる > 嬉しい(満足)

 

こうなっちゃうんですね。

何故こうなるのかというと

 

「褒められたら嬉しい」

 

ということを知っているからです。

つまり、「先読み」の行動になっているんです。

しかも、これほとんどの場合「無意識」なんですね。

 

この記事

nicolarossi.hatenablog.com

で書いていますが、

 

「脳」からの指令 > 反応 > それを意識

 

というのが人の行動の流れです。

記事の通りに、これをなるべく意識が邪魔しないことが、運動をスムーズに行うために必要なんですが、人は慣れたことだと基本的に意識は邪魔をしません。それは運動だけじゃなくて「思考」も同じなんですね。

 

受けた情報を意識に上げることなく脳内で処理してます。

 

なので、「よく考える」という行動は「無意識」で処理されている思考を、「有意識」まで上げてきて思考するということなんですね。「無意識」はイメージで処理されているのが、「有意識」は言語で処理します。運動の例でもわかりますが、「無意識」の方が処理速度が速いです。なので、意識(有意識)になるべく邪魔されないようにした方が能力が発揮できるわけです。

 

「無意識」というと、「勝手に行動する」と考えるかもしれませんが、「有意識」が認識しないだけで、ある程度の合理的な行動をします。それはどうしてかというと、人は生まれてきてから体験したことを脳内で処理して学習しているからですね。その学習した範囲内で「無意識」も行動するのです。

 

思ったことをすぐに口にして失敗する人っていますよね。

あれは、「無意識」が「有意識」へ吐き出した情報をそのまま言葉にしてしまうからです。

普通は、「有意識」へ上がって来た時点で、言うか言わないかを判断します。

 

「承認欲求」は「褒められたい」という欲求が「無意識」から吐き出されているということです。

 

本来は、自分の行動が「褒められる」から嬉しい(満足感がある)のですが、それが「褒められたい」では本末転倒になってしまい、初めに不満が来てしまうので行動の結果が伴わないと余計に不満になってしまいます。

 

で、この「褒められたい」も単純に褒められるような行動を起こして「褒められる」というよりは、「褒められるような状態」に自分を置いて「褒められる」と同じような満足感を得る。という複雑な思考になってきています。

 

自分の行動の結果、「褒められる」という満足感を得られない場合もあるので、確実に「褒められる」状態を自ら創り上げるということですね。しかも、この場合他人から実際に褒められなくても、脳内で満足感を得ることができます。

 

それは、既に評価されているモノを手に入れるという行為です。

(評価されそうなモノとかでもいいかもしれません)

 

ロードバイク界隈で言うところの「上位グレード」の機材を手に入れるということ。

(上位グレードを買う人がみんなそうということではありません)

 

評価されているモノを手に入れれば、自分自身も評価された(褒められた)という満足感が生まれます。面白いですよね。別に自分が評価されているわけでもないのに、他人から評価されているモノを所有すると、自分が評価されたと思い込むんですから。あ、別に「俺は評価されたんだ!」と思うってことじゃないですよ?それと同じような満足感が得られるということです(実際に「俺が評価されたんだ!」って思っていたらそれはそれでヤバいです笑)。

 

自分とその評価されているモノを同一化しているんですね。

安易に承認欲求を満たすことができます。

 

ここで一旦、私が上で書いていることを思い出しましょう。

「承認欲求」って本来は「群れの中で生きやすくなるため」に必要だと書きました。

もちろん、現代社会でも所属集団で認められることとかは必要です。

でもそれは、自分自身の能力で勝ち取るものです。

 

では、モノを買って満足する「承認欲求」ってなんなの?って思いませんか?

私は、それって本来の「承認欲求の満たし方」ではないと思ったんですよね。

あってもいいとは思いますが、そっちにばっかり引っ張られても…と考えます。

 

まぁ、それで満足感を得られて、自身のモチベーションに繋がる場合もあるので、それはそれで良いこともあります。ただし、そういう「承認欲求」を満たす過程での、下位グレード機材を酷評する行為はやめてもらいたいと思います。自分の承認欲求を満たす為の嘘なんですから。

 

承認欲求関係なく機材を合理的に選びたい人には、そういう情報が邪魔になるんですよね。

 

とは言っても、無意識下で行われている思考でもあるので、自分で気付かなければ起こってしまうことです。仕方のないことでもありますよね。

 

私ができることと言えば、そういう承認欲求に引っ張られない機材の選び方を提案することとか、機材じゃなくて自分自身の能力を上げることを伝えることですかね。

 

承認欲求を掘り下げると、生きやすくするために必要な欲求ということがわかるのですが、自分が何かを「欲しい」と思った時に、それは「必要だから」欲しいと思ったのか、「承認欲求」を満たすために欲しいと思ったのか、一旦立ち止まって考えることも大切だなと思いました。

下位グレード機材を酷評する人の心理 その3

どうも、おっさんです。

 

nicolarossi.hatenablog.com

nicolarossi.hatenablog.com

以上の続きです。

 

初心者の場合

 

「初心者と見られたくない」

 

という思考があるようです。

なので、初心者と見られるようなことを避けたがります。

 

これは、やっぱり「承認欲求」によるものなのですが、「初心者と見られたくない」ということが初めに出てきたのではなくて、別の考えから対比する意味で出てきた考えだと思います。

 

それは、既にロードバイクに乗っている先輩への「憧れ」です。

 

ロードバイクに興味を持ってそれを趣味にするのですから、そのロードバイクを趣味にしている先輩は「憧れ」の対象になるんですね。それはネット上の情報もそうですし、自分の中で作り上げられたイメージもその「憧れ」の対象として使われます。

 

ロードバイクを趣味として楽しんでいるというイメージとは

 

長距離(100km~)のライドも難なくこなし

ある程度のスピードで颯爽と走り

ヒルクライムも余裕でクリアし

etc…

 

みたいなことですね。(大雑把笑)

そして、そういう人は機材にもこだわって「105以上」の上位グレードのロードバイクに乗っているというイメージ。

 

つまり、そういう「先輩」と同じようなイメージで自分もそうありたいと思うわけです。それの対比として「初心者と見られたくない」というイメージがあるわけですね。

 

慣れている人(先輩) = カッコイイ

慣れていない人(初心者) = カッコワルイ

 

というステレオイメージが出来上がってしまうのでしょう。

そうなると、初心者と見られるようなことは避けたがります。

初心者向け?の下位グレードは避けたいと考える。

 

一番、簡単にできることは「105以上」のロードバイクを買うということです。

それ以外は初心者には無理です。

 

ですが、「初心者と見られたくない」という理由自体が自分の中で「カッコワルイ」ことなので、それを理由にして「105以上」のロードバイクを買うことに違和感が生まれます。

 

はい、「認知的不協和」ですね。

 

認知1 初心者と見られたくないから上位グレードが欲しい

認知2 初心者と見られたくないからという理由はそもそもカッコワルイ

 

そこで

 

認知3 下位グレードは性能が著しく悪いから買わない方が良い

 

という認知を加えてあげると、「初心者と見られたくない」という理由は消去でき、堂々と105以上の上位グレードを買うことができます。

 

この記事で

nicolarossi.hatenablog.com

SPDは外れやすいからSPD-SLをお勧めするという人の意見について書きました。

(記事見てもらえばわかりますが、SPDは別に外れやすくないです)

 

おそらく、この方はSPD-SLに憧れがあって、SPDは「カッコワルイ」と思っていたのでしょうね。それは、「SPD-SLの方がカッコイイから」という一言でわかるんですが、その根底には「SPDは初心者が使うモノ」というようなイメージがあったのではないでしょうか?

 

でも、「初心者が使うようなSPDは使いたくない」と言うのは「カッコワルイ」ことなので、「SPDはすぐ外れるから使えない」という嘘の情報を付け加えて、SPD-SLを使うことを「正当化」しているのだと思います。

 

このように、承認欲求と認知的不協和はかなり親密に連携して心理を「操作」していると感じます。

 

実際の心の動きはその人にしかわかりませんし、無意識で処理されている場合も多いので、その人自身にもわからない場合もあります。自分の考えがどこから来ているのか?ということを一旦立ち止まって思考してみるのも大切なことなのかもしれないですね。

下位グレード機材を酷評する人の心理 その2

どうも、おっさんです。

 

前回の記事

nicolarossi.hatenablog.com

の続き。

 

下位グレードが実際の性能よりも著しく低い評価をされてしまうのは何故か?という問題ですが、「甘いレモン」の法則で一つ説明しました。

 

そして、ここにはやっぱり「承認欲求」も関わってきます。

 

ロードバイク界隈では「105以上」というのが一般論として語られています。

 

「承認欲求」とは「他人から一目置かれている」という状況に自分があるという場合に満たされる欲求です。ロードバイク界隈の「105以上」で言えば…

 

「105以上」を使っている自分は一目置かれている

 

という心理状態になるということですね。

 

※実は、実際には「一目置かれている」なんて思っていませんし、多くの場合は他人から「一目置かれる」わけでもありません。単に、「105以上」を使っている自分という 存在を「心地良い」とか「気分が良い」と感じているだけです。が、その何とも言えない満足感それこそが承認欲求が満たされた状態です。

 

なので、「105以上」を使うことで「承認欲求」が満たされるわけです。

逆に言うと、「105未満」だと承認欲求は満たされないわけですね。

一般論的に。

 

つまり、自分の承認欲求を満たしたいので「105以上」を使う必要があるということになります。

 

「いやいや、自分は105以上の性能が良いから使っているだけであって、下位グレードでは満足ができないんだ。」という人もいるかもしれないですが、百歩譲ってそういう人は置いときます。

 

ところが、それで下位グレードを「酷評」する理由にはならないんですよね。

何故なら、素人が乗る限り下位グレードでも何の問題も起きないからです。

個人の好みもあるでしょうが、それが事実なんですよ。

 

「105未満のブレーキは危険」というのも、素人が一般道で使用する限りは「嘘」ですからね。どうしてそういう嘘をつかないといけないのか?それはやっぱり「105以上」を使いたいからなんですよ。

 

「認知的不協和」という心理作用があります。

 

自身の中の「認知」に矛盾(不協和)が生じる場合の状態や、それを解消しようとする動きのことを言います。「105未満のブレーキは危険」(嘘)という主張をする人の場合で言うと、その主張をしないと「105以上」のブレーキを使うことに自身の中で矛盾が生じて、それを解消できないということになります。

 

認知1 「みんなが使っている105以上のブレーキを使いたい」

認知2 「でも自分には105未満のブレーキでも問題ない」

 

という矛盾が自身の中で発生している場合に、認知1を優先させたいという心理が働くと

 

認知3 「105未満のブレーキは危険」

 

という新たな認知(嘘)を発生させて認知2を消去します。

実際はもっと複雑な思考なのでしょうが、簡単にはこういうことになります。

 

これは、自分が明確に「105以上のブレーキを使う必要がある」という考えがあるのであれば、「105未満のブレーキは危険」という考えは不必要なので、逆説的に証明することができます。単に自分に必要かそうでないかの問題なだけなんですから。自分が危険だったとしても、他人が危険かどうかはその人の状況によるでしょう?現に、私のような一般道を走る素人には「105未満」でも何の問題もないのですから。

 

本当は、自分には必要ないかもしれないとわかっているから「105未満のブレーキは危険」という「嘘」を言わないといけないわけです。そうしないと「承認欲求」が満たせないですからね。

 

そして、こういう嘘の情報を拡散するのは、それが一般論になると自分の中の矛盾がさらに消えていくからです。

 

一般論で

105未満のブレーキは危険

105未満のコンポはおもちゃ

 

というような論が広まってくれれば、自分の中の矛盾が消えて気持ち良く「105以上」を使うことができるからなんですね。ま、嘘なんですけど。

 

実際の人の思考はもっと複雑なので、前回の「甘いレモン」の内容等他の思考も含めてこういう嘘が発生しているのではないか?と思います。

 

私が面白いなと思うのは、元々は他者の「105以上」という考えに引っ張られて「105以上を使いたい」という考えになった人が、一旦、深層心理で「あれ?」と思っているのに、それを否定してさらに「105以上」を拡散加速させているということですね。思い込みって凄い。

 

人の心理や思考って調べていくとかなり面白いんですよ。

で、私はあることに気付いちゃいました。

それはまた別の記事で書きたいと思っています。

下位グレード機材を酷評する人の心理 その1

どうも、おっさんです。

 

このブログで常にアクセス上位なのが

nicolarossi.hatenablog.com

この記事です。

疑問に思っている人が多いってことですかね?

 

レースに出ない素人の私が、一般道で交通法規を守って走っている限り、ブレーキが効かなくて困ったなんてことがないので、ネット上で言われていることに疑問を持ったんですよね。

 

今は、RNC3でデュラエース(BR-9000)、フェニックスでアルテグラ(BR-R8000)を使ってますが、やっぱり効きの面で言うとSORAでも十分だと思ってます。上位グレードは効く効かないの次元ではなくて、引きが軽くなっているのでコントロール性の面で優位性があるのだと私は感じます。何故、引きが軽いのかというと、キャリパーを開くバネの強さが上位グレードの方が弱いからですね。

 

もちろん、レースで下りを攻めるのであれば、当たり前に上位グレードにした方が良いと思いますが、交通法規を守って一般道を走る素人だと効きの面で困ることはないと思います。手が小さくて握力の弱い女性は、長い下りで握力がなくなって危ないって話も聞いたりしますが、それって単にブレーキのかけ方が悪いだけではないでしょうか?(ブラケット上部を握り込んでブレーキングしているのでは?)

 

というか、そもそもお世辞にもブレーキが掛けやすいとは言えないドロップハンドルのブレーキを使うには、そういう部分の技術も普通に求められるわけで、素人がそういう自転車に乗っているということを自覚する必要があるのでは?とも思います。そして、そういう人でも扱いやすいのがバーハンドル(と、そのブレーキレバー)ですし、クロスバイクバーハンドルなのも扱いやすいからでしょう。まぁ、そういう握力が問題になる人であれば上位グレードにすることで解決すると思うので、選択肢としてはアリですよね。ただ、油圧ディスクブレーキにしてしまえばこの点も解決します。

 

昔は今みたいに素人がロードバイクに乗ってなかったんですよね。ロードバイクに乗るのはレースに出る人であって、シマノ等のロードバイクコンポーネントはレースに出られる仕様で用意されていたのです。でも、時代が進んでロードバイクの楽しみ方も多様化してレースだけで使われるというわけではなくなった。そういうレース以外でロードバイクに乗る人用に、より低価格で用意されたのが105未満のコンポーネント群ということです。

 

あれ?と思いますよね?

 

そうなんですよ。シマノ自身が「105以上がレース仕様」と言ってる通りです。

(ティアグラ以下がレースで使えないというわけでもないですが)

 

「105未満のブレーキは危険」というのはレース目線での話ということです。

それを素人が言ってるのが、そもそもの間違いなんですね。

 

でも、ここでまた疑問が生まれます。いくらそういう間違った認識があったとしても、実際に使ってみたら「間違い」に気付くはずです。私も使ってみて「問題ない」ことに気付いたんですから。

 

一つは、ネット上の「105以上」を信じて105以上のロードバイクを買った人は、下位グレードのコンポを使ったことがなくてもその「105以上」を推して他人に話してしまうという問題点。これは、モノの評価としては成り立たないかなと思います。

 

では、下位グレードコンポを使ったことがある人が「酷評」してしまうのはどうしてか?

 

前に書いた

nicolarossi.hatenablog.com

この記事の通り「甘いレモン」の法則なんですね。

 

下位グレードを使っていて、上位グレードに買い替えた

上位グレードを購入して、下位グレードを(試乗とかで)使った

 

色々とありますが、このような場面で

 

上位グレードを実際よりも「高評価」する

下位グレードを実際よりも「低評価」する

 

という心理現象が起こります。

 

「甘いレモン」の心理状態は、手に入れたモノをその価値以上に評価してしまうということなので、手に入れたモノ自体を実際よりも高評価してしまいますし、それよりも下のモノを実際よりも低評価することによって、自分が手に入れたモノを相対的に高評価にすることもできるというわけです。

 

なので

 

105未満のブレーキは危険

105未満のコンポは街乗り用のおもちゃ

安価なタイヤはグリップが悪く危険

 

というような、実際の性能よりも著しく低い評価がされるというわけです。

 

しかも、上で書いた通りに「レースで使うならば」という前提で成り立つ評価を、一般素人が使う領域まで落としてきているという、本来はありえない考え方から発生しているということにも本人は気付いていないので、二重三重に推しが強くなっていると思います。

 

この問題、根本的には「承認欲求」が深く関わってきます。

そしてもう一つ「認知的不協和」という心理的作用も関わってきます。

 

その辺は、次の記事で書きたいと思います。

2月終わり

どうも、おっさんです。

 

今月も、もう終わり。

そして2019年も2ヶ月が終わり。

早いですね(笑)。

 

今月の走行距離は294kmでした。

先月よりは伸びてますが、全然走れてないですね。

大体、週2回のライドになっています。

 

先月はほぼ週1回のライドだったので、なんとか走れているという状況でしょうか。

調子も少し上がってきました。

 

昨年の12月からあまり走れていないので、走力は落ちました。

週2回程度から週1回程度に落ちて、今は週2回まで戻しましたが走力は戻っていません。

 

走力を上げて行こうとすると、週3回は必要なのかな?と再認識しています。

それも、ある程度の負荷がないと難しいですね。

 

この時期は風の強い日が多いので、どうしても強風の日に走らないといけなくなります。

強風の日は基本的には走力を上げる練習にはなりません。

風への対処が必要になってしまうので、自転車を走らせることに注力できなくなるんですね。

そういう日が今月は2~3日はあったと思います。

 

ロードバイクに乗り始めた頃は、風の強い日は追い風でスピードが出ることが「楽しい」と感じていたのですが、今はそんなことよりも風に対処する体力が奪われるのが煩わしく感じてしまいます。

 

追い風や下りでスピードが出て「楽しい」っていうのは、自分の走力が備わっていないからそういうサポートが必要だっただけなんですよね。自分の走力がわかってくると、逆にそういうサポートは「邪魔」なだけになってきます。自分がどれだけ力を発揮できているかわからなくなっちゃいますから。

 

パワーメーターを導入してから、そういう部分にもさらに敏感になってきました。

結局は、自分の力が今どうなってるのか?が大切ですから。

 

今、速度が何km/hなのか?とかは、どうでもよくなってきます。

なので、風が強い日はあんまり走りたくないんですよね。

自分の力がわからないですから。

甘いレモン

どうも、おっさんです。

 

ある、新興メーカーのロードバイクを買った人のレビューを見てたのですが、「パーツはこんなのが使われているよ」とか「初期装備のタイヤが意外といいヤツだった」とか、まぁ、ありがちな紹介的な流れで、最後に乗ってどうだったかの感想があるかと思ったら…

 

「これから数年間乗っていく愛車を良いように書かないわけないでしょ?」

「私の評価と貴方の評価が同じなわけないし」

「だから、レビューは書きません」

 

と、ものすごく正直なことを言っていてウケました(笑)。

ですよねー。

 

「甘いレモン」という法則があって、自分が頑張ったり苦労したりしてやっと手に入れたモノを「これは凄くいいモノなんだ!」と、そのモノの価値をその価値以上に評価してしまうという心理です。レモンは酸っぱいですけど、レモンを甘いと思い込んでしまうということですね。

 

ただ、この方が買ったロードバイクは、そこそこ評価が高いモノなので悪いモノを高く評価してしまうってことはないと思いますが。この方のいいところは、それを自分でわかっているということですね。

 

別のところで、エントリーアルミロードからカーボンロードに乗り換えた人のレビューを見たのですが…

 

「今まで25km/h巡航がやっとだったのに、40km/h巡航ができた」

 

とか、ありえないことを書いちゃってるレビューもあるんで。

 

ちゃんと、自分でわかってたらそういうことも防げます。

 

やっぱり、自分の機材に対する客観的評価は必要なんですよね。

それが出来るのが「いつものコース」ですし、そのタイムなんですね。

 

自分のトレーニングタイムをしっかり把握してる人は、機材が変わっても「速くならない」ということを言ってる人が多いです。逆に、特定のコースでタイムとか測らない人は客観的な評価軸がないので、新しいロードバイクにテンション上がって、単に踏み倒したのが「速くなった」という勘違いを産むんでしょうね。

 

ま、新しい機材にテンション上がるのはモチベーション的には良いことなので、そのモチベーションを元に楽しめばいいと思います。