急に暖かくなりましたね。
ていうか、暑いぐらいです(笑)。
どうも、おっさんです。
今日は、日本でのロードバイクやクロスバイク等のスポーツ自転車の人気の高まりは何故起こったのか?というある記事を読んで私が思ったことを書いてみます。
その記事はこちらの
日本マーケティング協会のサイトに小林正樹氏が寄稿した記事です。
小林正樹氏は現在折り畳み自転車の会社を起こしている方のようです。
記事を読んでもらえばわかりますが、記事内容を要約すると
「マズローの欲求5段階説」のうちの最上階である「自己実現欲求」の段階に入った人がスポーツ自転車を買い求めているのではないか?
ということです。
ここでは「マズローの欲求5段階説」を詳しくは説明しませんが
第5段階 自己実現
第4段階 承認
第3段階 社会的
第2段階 安全
第1段階 生理的
という、5種類の「欲求」を段階的にまとめた考え方です。
簡単に言うと、人の欲求は下の段階の「欲求」から順に満たされていくということです。
(個人的には所々「どうかな?」と思う部分もあります)
で、記事内では日本では自動車が売れなくなってきているということと、スポーツ自転車が売れているということを対比させて「それは承認欲求の段階から自己実現欲求の段階へ入ったから」ということでした。
承認欲求というのは、「社会(他人)に認められ(尊敬され)たい」という欲求です。
日本は世界の中では比較的安定した社会情勢の国なので、社会的欲求である「社会の一員であるかないか?」の第3段階までは欲求が進んでいると思います(もちろん例外はあると思います)。その上の承認欲求というのは、その社会の中で「一目置かれている」状態になりたいという欲求ですね。第3段階が安定して満たされているのであれば誰でも?持つ欲求ではないでしょうか。
記事内では承認欲求を満たす方法として「ブランド品」を買うという例を上げています。売れなくなっている自動車を対比させているので、「ベンツ」を買えるということは社会的に「お金持ち」という認識が一般的なので、社会に対して「私はお金持ちなんだ」ということを示すことができ、承認欲求を満たすことができるということです。
対して、スポーツ自転車はそういう承認欲求を満たすには適してなく、例え高級ロードバイクであっても社会一般では高級かどうかは認知されていないので、社会に対して「私はお金持ちなんだ」ということを示せない為、自動車ではなく自転車を買う行為は…
高級品を見せびらかして経済力をマウンティングし合うことに飽きた(虚しくなった)人が、新たな価値観を見出して行うこと。それが「自己実現」の段階に入ったということ。
という結論になっています。
どうでしょうか?
私は「そうかなぁ?」と思います。
まず、私が思ったのが、お金持ちの人って確かに高級車に乗ってますけど、それって「見せびらかしてる」んですかね?単に、高級車を買える収入があるのでその予算内で好きな自動車を買ってるだけなんじゃないでしょうか?
それと、この記事内容だと自動車が売れなくなっているのは、そういう高級車でのマウント合戦に飽きたからみたいな見え方をしてしまうんですが(もちろんこの記事の意図ではないでしょうが…)、高級車って近年は逆に販売が伸びていると思うんですが…。トヨタ自動車のレクサスなんか、日本導入の際は「失敗する」って言われてたりしましたが、今、絶好調ですよね。
具体的な統計があるわけではないので私の持論ですが、自動車の販売台数が全体的に落ちてきているのは…
必要な人しか買わなくなってきているから
ということだと考えます。
日本でのモータリゼーションの頃は、自動車を所有すること自体がステータスで、そこで承認欲求を満たしていたということになります。少し進むと、軽自動車よりは小型車、小型車よりは中型車、中型車よりは高級車と、承認欲求を満たすためのヒエラルキーによって、その連鎖が自動車の販売台数を押し上げていたということですね。
「若者の収入が少ないからだ!」とかいう人がいますが、私の若い頃も収入がそれほど多くない中でローン組んだりして自動車を買ってましたよ?現在も、自動車を所有したいという欲求の人はそれなりにいて、そういう人は普通にローン組んで買っているのでは?つまり、自動車自体への関心が薄い若者が増えているっていうだけなんですよね。実際、生活に必要じゃないのにローン組んでまで買うの?っていう。
そういう風に価値観が変わってきたので、現代は「必要か必要ではないか」という考えに基づいて、自動車を「買うか買わないか」を選ぶ層が増えただけだと言えると思います。自動車を所有すること自体が承認欲求を満たす対象ではなくなったからとも言えますよね。
公共交通の発達している都会では必須ではないですが、地方では自動車は生活に必要な道具なので高校卒業と同時に自動車免許を取得し、その後、必要な時点で自動車を所有することになります。
地方では「軽自動車」の割合が比較的高くなっていますが、それも「生活に必要だから」という理由を考えると、「軽自動車」を選ぶということも合理的な判断だということになります。私が若い頃は「軽自動車=貧乏くさい」みたいな価値観だったので、合理的な判断よりもそういう承認欲求に寄った判断で小型車や中型車を所有することを選んでいました。
これらの事を考えて行くと、現在の自動車の市場というのは比較的「成熟」してきていると言えると思います。「必要な人が必要な分だけの選択をしている」のですから、そこに承認欲求とか余計な部分が関係なくなっているんですよね。
対して、スポーツ自転車の市場を見てみると、私は「承認欲求」の塊だと思います。
例えば、合理的な判断で言うなら「ポタリングするのにハイエンドロードバイクが必要?」と考えても、趣味なんだから「ドグマF10にデュラエースにボーラウルトラでポタリングしてもいいじゃん」となります。合理性よりも趣味性を重視する価値観が大きいのです。
いくら、世間一般でのロードバイクの高級品認知がないからといっても、一歩スポーツ自転車文化の中に入れば、そこにヒエラルキーが発生して承認欲求を満たせる高級機材への関心が高まってしまうんですね。
記事内の言及とは真逆に思うわけです。
私は上で
収入に応じた所有選択をするのが「見せびらかし」になるの?
ということを書きました。
これの答えを私の解釈で言うと…
見せびらかしたいと思うかどうか
という、本人の考え方次第だと考えます。
もっと具体的に言うと
他人が自分をどう思うかということを考えて選んだのか
ということ。
自分の考えに「他人」が介在するかしないかの違いです。
例えば、高級自動車を買える収入がある人が、買うクルマを選ぶのに「会社の同僚が選んだクルマより高いクルマを買おう」という考えの人は承認欲求でクルマを選んでいるということになります。逆に、他人は関係なく自分の好きなクルマを選ぶ人は承認欲求で選んだとは言えないかもしれません。
承認欲求というのは「他人」が介在する欲求です。
「他人に一目置かれたい」のですから当たり前ですね。
なので「他人にどう思われるか?」という考えが先行するのが承認欲求なのです。
上記の事から、記事内で「高級品を買うという行為は承認欲求を満たす為」という考え方は、半分正解で半分間違いだと私は思います。それはその行為を行う人の考え方次第なんですから。そして、その考え方は本人が他言しない限りわかりませんし、本人自身もわからないかもしれません(無意識の行動だってありえますから)。
他に、ロードバイクに乗り始めた人にありがちなのが…
早くロードバイク乗りとして認められたい
という思考です。
私がよく言っている「ロングライドしないといけない症候群」とか。
ロングライドできないと一人前と認めてもらえないみたいな。
これは、承認欲求の下の社会的欲求です。
ロードバイク社会の一員として認めてもらいたいという欲求ですね。
上記のような色々なことを考えて行くと、とてもスポーツ自転車を積極的に選んでいる人達が「自己実現欲求」の段階に入っているとは思えないんですよね。もちろん、新たな価値観に魅力を感じている人達であることは感じますが、それイコール「自己実現欲求」を満たしたい人ということでもないと私は思います。結局は「承認欲求」を満たすための新たな価値観への憧れみたいなものだと感じます。
それが、今のスポーツ自転車ブームの理由なんじゃないかと思うのです。