どうも、おっさんです。
ロールプレイングゲームとかでは、敵と戦って経験値を貯めるとレベルが上がったりしますよね?そして、レベルが上がると使える魔法が増えたり、強い武器が使えるようになったりします。
ゲームではそういうシステムになっているので、使いたい魔法や武器がある場合はそのレベルに上げないと使えないわけです。
でも、現実世界はそういうシステムになっていなくて、何かをしたり道具を使うのにレベルが足りないから使えないなんてことはありません。
ロードバイクで言うと、初心者でもハイエンドの自転車に乗れるし、頑張れば100km以上のロングライドも走れたりします。
あ、私の好きなフロムソフトウェアのアクションRPG「エルデンリング」とかは、レベルが足りてなくても武器を振るうことはできます。が、その武器が持つ”本来の能力”を発揮できないので、敵に与えるダメージが全然出ないようになっています。(魔法はさすがに使うことさえできないですが)
つまり、現実世界ではレベルが足りてなくてもその行為を行うことができるが、経験が足りず本来必要な能力に達していないことに気付きにくく、その行為自体に問題点が出てくるということです。
ほとんどの場合、この状態で物事を進めているので、行為のレベルが上がるにつれて対処が難しくなるのですが、その原因を突き詰めると
「基礎的な経験値が足りない」
ということになります。
仮に、100kmのロングライドを無理なく行うのに必要な経験値が「100」だとします。しかし、一般的にはその経験値に達していない状態で100kmロングライドをしているので、経験値が足りていないほど無理がかかります。その結果、身体に痛みが出るなどの問題が起こります。
さらに難しいのが、その行為を行っていれば自動的に経験値が貯まるわけではないということです。
ゲームのように敵を倒せば経験値が貯まるシステムであれば、ただ敵を倒すだけで自動的に経験値が貯まっていくのですが、現実世界はそう単純ではないので、ただ走っているだけではダメなのです。
「基礎的な経験値が足りない」のはもちろん基礎的な練習行為を行っていないからですが、何故その行為を積極的にしないのかというと「楽しくないから」です。
厳密に言うと、基礎練習をするよりもロングライドの方が楽しいからなんですが、基礎練習をするということは一般的には「努力をする」ということでもあります。
努力とは、”目標の為に本当はやりたくないことをやる”というのが一般的な認識で、こういう部分から見ても基礎練習は「楽しくない」ということですね。
しかし、上達する人は基礎練習こそ楽しんでやります。
例えば、イチロー選手が現役の頃に自主練に密着していた記者が、イチロー選手が球を何球も淡々と投げる姿を見て、「こういう地道な練習をしているから良い成績を残せるんですね」みたいなことを言ったのですが、イチロー選手は「これやってみると意外と楽しいですよ」と答えました。
つまり、ただ球を投げるだけの”地味”な練習を「努力」してやっているから良いんだというような見方を記者はしているんだけど、イチロー選手はそれを「努力」とは思ってなく、「楽しい」と思ってやっているということです。
一般的にも「努力」に対して同じような認識でしょう。
で、ロードバイクに話を戻すと、基礎練習をせずにロングライドだけをするのは、基礎練習は”地味”でつまらないという認識になっているからです。
基礎練習を楽しくやるのと嫌々やるのとでは、経験値の貯まり方が違ってきます。楽しくやれる人は「100」貯めるのも早いけれど、嫌々やっている人は半分の「50」を貯めるのも苦行でしょう。
「地味」なことに興味が湧かないのは「派手」なことに興味が行っているからで、その派手なことというのは「他人から評価されること」です。
自転車はほとんどの人が乗れますから、ただ走っているだけでは誰からも評価されませんよね?でも、「100km走れる」となれば「すごいですね」と誰かから評価されます。
つまり、「誰でもできる(と思い込んでいる)こと」は地味なので興味が湧かないということですね。
しかし、誰でもできるというのは錯覚で、ロードバイクを走らせる能力をあらわせる数値があったとして、その最大値がまた「100」だとしましょうか?これも経験値を貯めないといけないことになるのですが、誰でもできると思い込んでいるのでその「100」という数値にほとんどの場合気付かないわけです。
・誰でもできると思い込んでいるので、自分ができていないことに気付けない。
・基礎的な経験値が足りていないので上のレベルほど難しくなる。
上達しにくい状態になっているわけです。
まぁ、ダニング=クルーガー効果ですね。
解決するには基礎的な経験値を貯める必要があるのですが、誰でもできる(と思い込んでいる)”地味”なことに興味が湧かないので、それをやるとしても嫌々「努力」してやらなきゃいけなくなるんですね。
だから一般的には「努力」が偉いと思われているのですが、そもそも「誰でもできること」という思い込みがなければ”地味”なことという認識は発生せず、その行為に対して自然と興味が湧くので勝手にやり始めるのです。
で、それは「楽しいこと」と認識されるので「努力」なんて必要ないことになる。
必要な経験値があったとしても、それはいつの間にか貯まって次のレベルに勝手に突入していることになるし、そもそも楽しいからやっていることでレベルとか経験値とかどうでも良くなってくるだけなんですね。
これは何にでも当てはまることで、一般的には自分がどう評価されるかを最重要課題にしている人が多い結果ということでもあります。