どうも、おっさんです。
前回の
記事で、
仮にロードバイクを走らせる能力をあらわせる数値があって、その最大値が「100」だとしても”誰でもできる”と思い込んでいる人はその「100」という数値に気付かない。
と書いたのですが、これを少し掘り下げます。
”誰でもできる”というのは、「誰がやっても違いがない」あるいは「誰がやっても違いが小さい」ということです。
逆にそう思ってない場合は、「違いがある」「違いが大きい」ということです。
同じ事柄を見た時に、その対象がただの1個の塊に見えるか、個別の100個が集まった集合体の1個に見えるかみたいなことです。
目の前にあるものを分解して見られるかどうかということですね。
何かの行為をした場合に、それが1個の塊にしか見えない人は毎回同じにしか感じられないが、個別の100個に見える人には「1/100」~「100/100」の違いを感じられるわけです。
まぁ、1個の塊にしか見えないというのは極端ですが、その行為が上手いか下手かの違いの話です。
上手い人はその事柄をより細かく見ることができているということで、「分解能」が高いから細かな違いがわかるわけですね。
で、上手い人でも初めから上手いわけではないので、練習を繰り返すことで段々と上手くなっていくわけですが、それは「分解能」が高くなっていくということです。
初めは10段階だったのが、100段階になって1,000段階になって10,000段階になって…
というように、目の前に見えている事柄は一見変化していないのだけど、どんどんと細分化されていくことによって内側から変化していくように感じます。
つまり、上手くなるっていうことはどんどんと「地味」になるということでもあります。
「派手」なことにしか興味が行っていない場合、そういう細かい「地味」な部分に気付けないわけですから、「100」という数値にも気付けないんですね。
他人からどう評価されるかを最重要課題にしている場合、その評価する他人もほとんどの場合「派手」な部分しか見えてないわけですから、余計に「地味」だけど本当は重要な部分が見落とされてしまうということになります。
一般的にはこれのことを「センス」と言うわけですが…。