おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

上達する仕組み

どうも、おっさんです。

 

何でもそうなんですが、物事を進めていくと初めは出来なかったことが段々と出来るようになり、最終的には特に意識することなく出来るようになっている、ということが起こると思います。でも、人によってはなかなか身に付かなかったり、身に付いたとしても効率が悪そうなことをしている場合があったりもします。

 

上達が早い人と遅い人、あるいはまったく上達しない人、それぞれ何が違うのか?

考えてみたいと思います。

 

今回これを書こうと思ったのは、この動画


すぐ上達する人とそうではない人の違い【為末大学】

 

を見て色々と考えが浮かんできたからです。

 

元陸上選手でメダリストの為末大氏の動画なんですが、物凄くわかりやすく説明しているので見てみてください。

 

新しい動作を習得する場合、その動きに関することを身体のセンサーで感知して、自分が実際した動きとしたいと考えている動きの誤差を修正する作業をしていくことになります。同じ動きを繰り返し反復練習するのはこの過程ですね。これを動画内で「フィードバック」と言っています。

 

ただし、「こうしたい」と思ってから実際に身体が動くのには時間差があってこれだけだと上手くいかないので、「フィードフォワード」という機能を使って意識しなくても動作を正確にできるようにしているという話ですね。これによって、考えなくても自動的に身体が動く状態になるということです。

 

私がよく言っている「脳が勝手にそう判断している」ということは、こういう部分からもわかると思います。これは、効率を良くするために「内部モデル」を構築して自動的に行動できるようにしているということです。(動作だけでなくて思考すること含めて全ての行動です)

 

私がロードバイクを走らせる場面で感じるのは、タイムトライアル練習とかヒルクライムとかタイムを更新するような状態だと、意識しなくても身体が勝手に動いて走っています。反対に、調子が悪い状態の時は「あれ?こうだっけ?」みたいなことが起こります。(疲労度合にも左右されます)

 

勝手に動いている状態は「フィードフォワード」が働いていて、考えないと上手くいかない状態は「フィードバック」が働いているということですね。あ、どっちかが働いていてどっちかが休んでいるというわけではなくて、どっちが優位に働いているかということです。

 

で、こういう機能を使って動作を習得するわけなんですが、動画内でも言われているように上手く習得できない人というのは、「誤差」の修正が上手くいかない人であり、身体のセンサーが上手く働いていないのではないか?ということが言われています。

 

この部分について、考察をしてみます。

 

 

・センサーが上手く働かない人がいる?

 

もちろん、人それぞれ身体的特徴も違うしセンサーの働きに強い弱いもあるんだと思います。ただ、私はそれだけじゃないと思っているんですよね。こういうセンサーの働きって実はその人の思考の仕方で変わって来ると考えられるからです。

 

カクテルパーティー効果と言われている現象があり、カクテルパーティーのようにたくさんの人がいて周囲がざわついている場合でも、自分の興味のある対象が話していることを聞き分けたり、そんな中で自分の名前を呼ばれたりするとそれに気付いたりする現象のことです。

 

この場合は聴覚ですが、他の身体のセンサーも全部同じで自分の興味のあることを拾い上げやすいということなんですよね。

 

人間は(人間に限らないですが)、ただそこにいるだけでも身体のセンサーを使って周囲の情報を自動的に拾っています。例えば、気温を感知していないと体内の温度を一定に保つことができなくなるので、センサーをつかって暑いとか寒いとかを感じ取っているわけです。これは、意識しなくても自動で行われていますよね?意識には上がって来ていないだけです。

 

カクテルパーティー効果も同じことで、周囲の音は全部耳に届いているんだけれども、その中から自分の興味のある部分だけを拾い上げているということです。しかも、自分が意識して興味を示している対象だけではなくて、脳が「これは必要だ」と判断した情報も勝手に拾い上げられるということです。(名前を呼ばれたら気付くということはそういうこと)

 

つまり、「センサーが上手く働かない人がいる」というよりは、「センサーの情報に気付きにくい人がいる」ということなんだろうと考えます。センサーは常に働いているわけですが、その情報に気付いていないだけということですね。

 

 

・どうしてセンサーの情報に気付かないのか?

 

これは、上で書いている通りに「興味がないから」なんですよね。

 

いやいや、この動作を習得したいからやっているんだから「興味がない」わけないだろ!って思いますよね?でも、「脳」の機能を考えるとそういうことになっちゃうんですよね。

 

「脳」がどうして興味のあることしか受け入れないのか?というと、センサーが収集している情報を全部「脳」に入れることができないからです。それをするとあっという間に情報でパンパンになります(笑)。なので、必要な情報を選択して必要な分だけ受け入れているわけです。

 

必要な情報って何かというと、「興味があること」ってことになります。

(生きるのに都合が良い情報と言えます)

 

これは一応、網様体賦活系(もうようたいふかつけい)という脳の「フィルター」によって拾い上げるか上げないかを決めていると言われていて、それは「必要か必要でないか」ということで選択されるので機能的にそうなっているということなんですね。

 

 

・どうして必要のない情報と判断されてしまうのか?

 

習得したい動作なのに「必要ない」と判断されるのはどうしてなのかということなんですが、これは無意識の状態がそうなっているからとしか言いようがなくて、その人の思考パターンが何らかの影響を与えているということになります。

 

私が考えるのはやっぱり「承認欲求」が関わっているのでは?ということですね。

 

例えば、ペダリングやフォームを習得する時に、「正しいペダリング」とか「正しいフォーム」とかを調べて習得しようとする人が多いと思います。それは「正しい」ことなので、「承認欲求」が発動している場合はそれを習得しないと「自分の価値が下がる」という考えが浮かびます。実際にはそんなに明確に思考に上がって来ずに、無意識でそう感じ取っていると考えて下さい。

 

あ、そもそも、「承認欲求」が発動しているので「正しい」ペダリングとかフォームとかを習得しようとしていると言えるので、もう初めの段階から思考は「受動的」になっています。

 

この段階で既に「これが正しいんだ」という思考が出来上がっているので(無意識)、センサーの情報なんて必要ないんですよね。だって、自分が「正しい」と判断している情報が既にあるわけですから、他の情報は必要ないんです。

 

「受動的」ということがわかりますよね?

受動的思考で動いているとこうなりやすいのでは?と考えます。

 

反対に「主体的思考」の場合にどうなるのか?というと、まず「正しい」と初めから判断しません。というより、それが正しいのか正しくないのかを自分で判断しようと思考しているので、基本的には正しいか正しくないかはどうでも良くて、その動作をすると自分にどんな変化が起こるのか?という点に注目します。

 

nicolarossi.hatenablog.com

 この記事の話と同じことです。

 

「自分にどんな変化が起こるのか?」を知る為には、身体のセンサーからの情報が重要になってきます。センサーからの情報がないとそれがわからないからです。

 

受動的思考の場合は「正しい」ことが重要なのでそれをただ「真似よう」としているだけとも言えますね。真似ようとすること自体が悪いことではないのですが、動作を真似ただけだと意味がなく上手くいきません。そして、その「正しい」ペダリングやフォームが出来るようになると「速く走れる」とも認識しているので、同時に速度を上げて習得しようとしますが、これも裏目に出ます。

 

心肺能力(パワー)が低い段階で実力以上に速く(30km/h以上とか)走ろうとすると、「無理」をしている状態になります。そうすると身体は自分の思うようには動きません。やってみたらわかりますが、身体が縮こまって大きく自由に動かすことができなくなります。

 

受動的思考の場合は「承認欲求」が発動しやすいので、何か行動を起こす場合は「正しい」こと(答え)を探す作業から初めてしまいます。「受動的」なので、誰かが「正しい」と言っていることこそが正しくて、自分が体験することが疎かになっている(答えはもうあるので探す必要がなくなっている)と言えるんですね。

 

体験することを疎かにしているのでセンサーの情報は必要ないと判断されて気付けないわけなんです。

 

このまま続けても上達しにくいので、人によっては辞めてしまう原因になります。

 

 

簡単に言うと、上達しにくい人は「雑念」が入って来やすい人で、その行為自体に「集中」出来ていないということですね。

 

だとしても、まったく上達しないってことにはならないと思うので、まったく上達しない人っていうのは「必要ない」人だとも言えますよね。例えば、ロードバイクという「モノ」自体には興味があるけれど、「ロードバイクで走る」ということに興味がなかったら走る動作なんて「必要ない」わけですから、そういう動作を習得する意味はないということになります。

 

じゃぁ、どうして動作を習得しようとするのか?というと、ロードバイクという「モノ」を所有するということは同時に「ロードバイクに乗る」という行為が一般的には発生してしまうので、ただなんとなくそうなってしまっているだけなのかもしれません。

 

ロードバイクの本質的に言うと、まったく上達しない人というのは「ロードバイクが必要ない人」とも言えてしまいます。「走る為の道具」としては必要ないんだけれど、「モノ」としては必要というところでしょうか。一般素人にとっては趣味なので、それでどうこうということにはなりませんけれど。

 

とは言っても、そういう人も結局はどこかで飽きちゃう可能性が高くなります。

 

時間はかかったけれどなんとか習得できたという人は、「反復練習」を飽きずに続けられた人でしょう。繰り返し同じことをしていくうちに多少はセンサーの情報も拾えるようになるでしょうし。ただし、一般素人の趣味であれば結構な根気が必要になってきます。「反復練習」するにも乗るのが週一とかだとなおさらですよね。

 

 

というように、上達するかしないかというのはその人の興味がどこにあるのか?で変わってしまうということだと私は考えます。

 

習得すること自体に、一般的に言われているような先天的な能力の有る無しはあんまり関係ないと思います。もちろん、最終的に到達する地点というのは人それぞれなので、誰かと誰かを比較すると優劣は発生します。

 

そういう優劣に囚われ過ぎるのも上達を遅らせる原因になるんですよね。

 

 

ちなみに、為末氏は物事の進め方の違いを心理面から考察することもやっていて、私と同じような脳内イメージを持っているんじゃないかな?と思っています。

 


為末大が語る「限界の正体~自分の見えない檻から抜け出す法」


限界突破のためには、自分を疑い「枠」から離れよう~石川善樹×栗城史多×為末大

 

この辺りの動画がわかりやすいと思うので、興味があれば見てみると気付ける部分があるかもしれませんよ?当たり前ですが、私よりも知識や経験が豊富なので(笑)。