どうも、おっさんです。
前回の
トロッコ問題に関連することで、自動車の自動運転で「誰かを犠牲にするしかない」場面でどういう設定をするか?という問題があります。
例えば、信号無視をして横断歩道を渡っている人がいて、その人を避けないといけないけれど、その避けた先にも人がいる場合にどうするか?みたいなことです。
これも調査されていて、
「法律を守っている人を優先する」
という人が多いみたいですね。
つまり、誰かを犠牲にしないといけない場合に、法律を守っていない人を犠牲にしてもかまわないと思っている人が多いってことです。
この記事
で説明してますが、罪刑法定主義という概念があり、「ある行為を罪として罰するには、罪と罰を予め明確に規定しておかなければならない」というのが、法治主義として重要な部分になっています。
なので、「法律を守っていない人を犠牲にしてもかまわない」という理屈は成り立たないんですね。
道路交通法による信号無視の場合の罰則は「二万円以下の罰金又は科料」なので、信号無視した場合の法的責任はそれ以上でも以下でもないからです。※信号無視したことによって起こった損害については、別の刑罰によって責任を負わなければなりません。
それに、自動運転に限らず、道路交通法で歩行者は保護される対象になっているので、信号無視をしている人を撥ねた場合でも自動車側の責任はゼロにはなりません。
日本国憲法にも
第三十一条 何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
とあり、定められた手続きを踏まずに罰を科せられないのだから、法律に違反しているからといって、その場で犠牲になっても良いわけがないんですね。
しかも、手続きを踏まない刑罰(私刑)を科すことを禁止しているのだから、その行為をした時点で法を守っていないことになり、「法律を守っていない人を犠牲にしてもかまわない」と言っている人自身にそれが降りかかることになります。
矛盾しているわけですね。
自動運転の開発者はどう考えているのかというと
・そもそも正解がないから問題と捉えていない
・誰かを犠牲にしないといけない場面にはほとんどならない
・その為の自動運転技術
ということです。
つまり、そのような正解のない場面になる前に対処できるようにするのが、自動運転の目指すところということなんですね。
手動運転が禁止されない限り、自動運転と手動運転の自動車が混在するわけですが、もし自動運転車が法律を守っていない手動運転車を考慮しない運転をしたら、あちこちで事故が起こるでしょう。
そうならないようにするには、法律違反をする自動車がいることを前提に運転しないといけないことがわかりますよね?
つまり、「自分(法律)が正しい」という思考は邪魔にしかならないということです。
自動運転で難しいのは、地域によって運転の仕方に違いがあるところだそうで、例えば日本で言うと「名古屋走り」のような地域性の特徴のことです。
そのような違いも考慮しないと自動運転は成り立たないわけで、結局は「人はそれぞれ違う」という前提で見ていかないと、物事は上手くいかないということですね。