どうも、おっさんです。
前回、前々回と
正規分布に関して書いてきましたが、ある集団である評価軸の統計をとると平均値が一番多く、プラス方向とマイナス方向に少なくなっていくということがわかると思います。
この一番多い平均値付近に集積している六割程度のことを、その集団の中では
「普通」
と認識します。
誰かが決めているわけではなく自然にです。
さらに、その普通から見てプラス方向を「優」、マイナス方向を「劣」と認識するわけですね。で、普通から見ると優も劣も少数派なので、基本的に世の中は「普通」を中心に進んで行きます。
もちろん、少数派にも配慮するということが良いことだとされているので、ある程度の配慮はされるのですが中心は「普通」になっています。
これは、消極的な配慮なのですが、なぜ消極的なのかというとそもそもの認識として普通が多数派なので、それを「正しい」と思い込んでしまっているからなんですね。
正しい状態にない人に配慮しなければならない理由がわからないという状態です。
正規分布で見ると、普通と認識される割合は決まっていて、そこから外れる人がいる割合も決まっているわけですが、その割合の違いを「努力」による違いだと勘違いしているからです。
正しい状態にないのは「努力していないからだ」
という認識なので、消極的になってしまうということですね。
例えば、人間の個体別の適正な労働時間が計れるとして、その統計をとると正規分布になるはずです。仮に平均値が1日8時間だとすると、分布は平均値が一番多くてそこからプラスとマイナスに少なくなっていくことになります。
現実問題で、8時間労働が難しいという人は存在しているのですが、普通から見るとそれは「怠けている」とか「努力していない」とか認識されるわけですね。
しかし、基本的に1日8時間労働が基準として定められているので、そこから外れる人はその基準に合わせなくてはいけなくなります。プラスの人は良いですが、マイナスの人は負荷が多くかかることになるので、何かしらの不具合が出る可能性が高くなります。
プラスの人は良いとしましたが、時間外労働も基準を超えてすることができないので、働けるのに働けないという状況になりますし、企業側から見ても労働力があるのにそれを使うことができないという状況も生まれます。
その労働力が社会的にも必要とされているほど、それを制限すると混乱が生じるのは必然なわけです。
つまり、平均値を基準として物事を決めてしまうと、何らかの不具合が生じることになるということですね。
ちなみに、「普通」と認識されている中でもプラスとマイナスはもちろん存在しているのですが、その人たちは平均値に合わせることができる許容範囲内だということもわかりますね。(それを普通と認識するようになっている)
許容範囲なので、マイナス側で範囲ギリギリの人ほど合わせるのがしんどくなりますが、許容範囲なのでなんとかなってしまうわけです。
本当は人それぞれ違うのに、平均値に合わせることを強要しているのでおかしくなるのは当たり前という話なんですが、平均値に達していないのは努力が足りないからだという思い込みが無くならない限り解消しないでしょうね。