どうも、おっさんです。
私が前から思っていることで記事にもしたことがあるんですが、記事の意図が上手く伝わらないことが多いなと感じています。それは、言葉というツールでは意図を完全に伝えるのは不完全だから仕方がないのもありますし、そもそも私の文章力が壊滅的ということもありますし(笑)。
ということで、「人に何かを伝えるってどういう構造になっているのか?」みたいなことをずーっと考えていたのですが、ある程度の道筋が見えたのでここまでの考えを一旦文章にしてみたいと思いました。
で、今回はその前段階で「本質」の話をしてみたいと思います。
「本質」という言葉を調べると
"物事の根本的な性質・要素、本来の姿"
とあります。
まぁ、言葉で見るとそうだよなーという感じでしょうか?
今回は、これを言葉じゃなくて「体感」で実際に感じてもらいたいと思います。
あ、これは私が「こうすれば体感でわかるかな?」と考えたことなので、別に科学的にどうとか医学的にどうとかの話ではなく、「人に何かを伝える」ということの構造を理解してもらう為の実験です。
ではいきます。
まず、リンゴが目の前にあります。
触ったり手に取ったりしてみてください。
次に、食べてみましょうか?
そのままかじってもいいし、皮をむいてからでもいいです。
終わりです。
どうでした?
もしかしたらリンゴを食べたことがないし、見たことがない人がいるかもしれません。その場合は別の食べ物でもかまいません。
リンゴの形や大きさや色味、手触りや重量感、皮付きでかじった食感、むいて食べた食感、味や瑞々しさ、その他の感触が思い浮かんできました?これは、実際にリンゴを見たり触ったり食べたりした「体験」を学習しているからです。
では次に、その体験した感触をリンゴを知らない人に伝えて下さい。
形や大きさ色はどうやって伝えます?絵でも書きましょうか?重さはどうします?同じような重さの別の物で伝えますか?触った感じは?食感は?味は?
このように、自分なりの方法で伝えると思うんですが、こうやって伝えたとしてもはたして相手に「伝わった」のでしょうか?自分が体感したリンゴの感触って、実際にリンゴを体感しないとわからないと思いません?
これが私が感じている違和感です。
自分が体感したリンゴの感触というのは「イメージ(抽象)化」されて脳内にあります。それをリンゴを知らない人に伝えようとすると、一旦「言語(具体)化」して相手に伝わるようにするんですが、言葉では伝えきれないことがわかりますよね?
補足の手段として、リンゴを知らない人が体験したことある他の物事に置き換えて伝えるということができます。これを一般的に「たとえ話」と言います。
梨(洋梨の方が近いかな?)を食べたことがある場合はその梨に例えて話して、それとの違う部分を伝えればリンゴを「イメージ」しやすくなると思います。ただ、その場合も伝えた相手に完全に伝わったとは言えません。
つまり、実際に体験していないことを「知る」のは難しいということです。
ここまででもうわかると思いますが、「イメージ(抽象)」化されたリンゴの感触が
"本質"
で、それを伝える為の手段が「言語(具体)」であるということですね。
リンゴを実際に体験するのが究極の具体になります。
(百聞は一見にしかず)
まぁ、そんなの言わなくても大体の人が感覚でわかっていると思いますが(笑)。
当たり前にやっていることなので、こうやって意識なんてしないことです。
でも、意識して見てみるとおかしいと思いませんか?
本質がちゃんと伝わることってなかなか難しいんですよ。
でも、受け取った方は「わかった」と思っているし、伝えた方も相手がわかったと思っているなら「伝わった」と思っています。まぁ、それは後々支障が出るか出ないかで対処されることが多いんですが。それに、同じ国や場所に住んでいるのなら体験自体も大体同じになるので、多少の違いがあったとしても支障が出にくいんですね。
しかし、全く体験したことがないことを言葉で伝えるのは難しい。
それは、本質が"抽象的"なので「見えにくい」からなんですよ。
しかも、その抽象的な本質を具体的に言語で伝えようとすればするほど、本質から離れていってしまうんです。なぜなら、言語化することで情報が削られていくからなんですね。(言語化できない部分やそもそも意識していない部分が端折られる)
抽象から具体に変換すると情報が削られるので、その削られた情報を受け手側で補足しないといけなくなるということです。
実は、これが出来ている人はあまり多くないようです。
この点からも、ほとんどの場合の本質は相手に伝わっていないということになります。