どうも、おっさんです。
前回の記事
の続き。
言語化された物事は抽象的な本質から抜き出しただけのものなので、その言語化された具体的な物事だけを見ても”本質”は掴めないですよという話をしました。
「それができている人はあまりいないようです」とも書いたんですが、私と同じようなことを考えている人はいないかな?と思い調べたところ、「具体と抽象」という本が出版されていてその作者も同じように感じているようですし、企業でも意識的にこの考え方を採用しているところもあるようだとわかったからです。(つまり、一般的にあまり意識されていない部分だということがわかる)
私はその本は読んでいないのですが、要約されている動画やこの本を解説している方の記事なんかを見てみると、本質的に同じ部分に違和感を感じているんだなとわかりました。
で、私が今回書くのはその本の内容についてとかではなく、この「具体と抽象」の本質的な部分になります。
ところが、本質的な部分を書くということはそれを言語化して具体的な物事として表すということになり、「具体と抽象」という考え方から遠い人ほど本質的な理解が難しくなるということにもなります(笑)。
なので、まずはじめに何が”おかしい”のかを理解してもらえるように、”本質”ってどういうものなのかということを前回の記事で体感してもらったのと、どういう経緯でおかしくなるのかを今回書いてみます。
例えば、誰かに「昨日食べたリンゴが美味しかった」と伝えたとします。この内容からはここに表されたことだけしか基本的にはわかりません。なので、それを聞いた人も「この人は昨日リンゴを食べてそれが美味しかったんだな」ということしかわからないです。
しかし、この「昨日食べたリンゴが美味しかった」の裏側にはもっと色々な情報があるんです。それは朝?昼?夜?何処で?誰と?どんなリンゴ?、というように表されていない情報です。
「そんなのその人が言わなかったらわからないだろ」
って思いますよね?それに、全部の情報をずらずらと並びたてられても煩雑で逆に分かりにくくなってしまいます。
その通りなんですが、ここが問題なんです。
前回の記事で”本質”を体感してもらってわかるように、抽象的な本質を相手に伝えようとすると言語化して具体的な物事に変換する為、情報は必然的に削られてしまうんです。
「昨日食べたリンゴが美味しかった」ぐらいの情報なら問題にならないんですが、もっと複雑な物事を伝えようとすると問題が起こっておかしいことになってしまいます。
ここで答えを書いてしまいますが、伝える側も受け取る側も両方ともその情報を
”自分の都合のいいように書き換えてしまう”
んですよ。
無意識に。
こちらの動画を見て下さい。
ロードバイクのペダリングを解説されている動画なんですが、わかりやすいと大変好評のようです。自転車ショップの店長さん?が上げている動画で、「3つのポイント」として”具体的に”解説しています。
ロードバイクに乗ってない方も見るかもしれないので一応補足しますが、ロードバイクは「舗装路を速く走る為の自転車」です。自転車なので自転車に乗れる人なら誰でも乗ることができます。ただ、シティサイクル(ママチャリ)と違って乗車姿勢が前のめり(前傾している)なのと、一般的に長距離をある程度のスピードで走ることが目的になっているので、”ペダリング”と言われる「ペダルを回す技術」の習得が必要だと言われています。つまり、スポーツに必要な技術を解説している動画ですね。
コメント欄には「わかりやすい」というようなコメントが多くありますが、私がこの動画を見て思ったことと同じようなことを書いているコメントがありました。
”ペダリングの解説動画はいろいろありますが、実際に自分が乗れるようになると全て繋がってくることに気づきました。 逆に初心者のうちは参考程度にしかならない。”
このコメントの方は”本質”を掴んでいるのだと思います。何故かというと「すべて繋がってくることに気づいた」と言っているからです。
これ、どういうことかというと
物事を”抽象的”に捉えることができている
ってことです。
私も同じように思ったのですが、それは「言っていることは間違っていないんだけど、そうじゃないんだよな~」という感じです。あ、だからこの動画が悪いとかそういう意味じゃないですよ?初心者の参考にはなると思います。
3つのポイントとして
・丹田
・前後のペダリング
・上半身の脱力
を上げられていてその解説をされているんですが、言っていることは間違ってないし理にかなったことなのでそれ自体に問題はないです。ただ、物事を抽象的に捉えることができている人から見ると「そうじゃないんだよ~」ってなっちゃうんです。
「腹式呼吸で丹田を意識して力を入れる」と言われているんですが、これはスポーツの世界ではよく言われる「体幹を意識する」ってことです。そうなんですが、これは丹田を意識して力を入れているわけじゃないんですよ。前にも書いたことがあるんですが、
速く走ろうとするとそうなってる
だけです。必然です。
逆に言うと、速く走るってどういうことかがわかってないと「さっぱりわからない」です。私も丹田に力が入っているってことはわかるんですが、それは丹田に力を入れようとしてそうなっているんじゃないんです。しかも、それを初心者の頃から意識して来たからそうなってるわけでもなくて、速く走れるようになってきたら自然とそうなっただけ。
あるブログで、この「丹田に力を入れる」ということを試して効果があったということが書かれていたんですが、「1~2分ぐらいしか持たない。体幹鍛えなきゃいけないな。」となってました。そもそも丹田に意識的に力を入れるわけじゃないので、それを意識して力むと短時間しか持ちません。
全然間違った伝わり方してます。
ここからわかるように、この動画の方は「ただ丹田に力が入っている状態」を「丹田に力を入れないといけない」と無意識に変換してしまっているんですね。
さらに、受け取った側も「力を入れる」という部分を1~2分ぐらいしか持たないぐらいのかなり強い力を入れると無意識に変換しています。
わかりますか?このおかしさ。
これ、伝える側も受け取る側も両方ともこのことを理解してないといけないということです。
それが理解できていると、伝える側は「相手が誤解するかもしれない」と考えて具体的すぎることは扱いにくくなりますし(ただし、抽象側に寄ることになるのでわかりにくくなります)、受け取る側も「具体的な物事には色んな見方がある」ということがわかるようになります。
「前後のペダリング」も抽象的な見方をすると、そうとも取れるけどそうじゃないとなります。この動画では「上下のペダリング」からの意識の変換を言っていますが、実はその「上下のペダリング」だって必要なことです。
つまり、これらは抽象的なことから具体的なことを抜き出しているだけなので、
すべて繋がっている
ということです。
抽象的な見方ができる人から見ると、それぞれの具体的な事柄を「対立」あるいは「独立」させて述べていることがおかしく見えるんですね。だってそれらは繋がっているんだから。
抽象的な見方ができない人は具体的な物事が「対立」していたり、「独立」していたりすると認識しているんですね。
現に、この「前後のペダリング」がしっくりきた人が「上下のペダリング」は間違いだと認識している可能性があります。
上半身の脱力も「脱力する」んじゃなくて、そもそも上半身に力が入っている状態がおかしいんです。
ペダリングに関して色々と書きたいんですが、長くなるのでこの辺で(笑)。
(また別の機会に書きます)
次回は、どうしてそれらの具体的な物事を「対立」や「独立」した物事として認識してしまうのか?ということを考察したいと思います。