おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

「頑張る」という言葉の捉え方の違い

どうも、おっさんです。

 

前回の記事で、私は頑張っていませんよ~という話をしました。

頑張らなくても能力は高まっていきますよってことで。

 

そもそも「頑張る」という言葉というか概念が、実は人によって違うんじゃないか?とわかってきたので、そこを話さないと意味が分からないということもあると思うんですよ。なので、「頑張る」ってなんなのか?ということを書いていきます。

 

一般的に言われている「頑張る」は、「我慢して」とか「耐えて」とか「努力して」とかの状態で行っていくことになります。つまり、その状態が「楽しい」という状態ではないということですよね?我慢や忍耐が必要なわけですから、一般的な認識としては「楽しい」ことではなく、できれば「やりたくないこと」であると言えます。

 

ね?というところからも私は頑張ってないんですよ。でも、私は今までこの今の自分の状態(頑張ってない状態)を「頑張っている」んだと思っていました。それは、社会一般では何かをやり通したり続けていくことに「努力」や「忍耐」が必要という何か共通認識的なものがあるからだと思います。そこに意識が引きずられていたわけで。

 

ところが、自分の状態をよく観察してみると、やっぱり私は「努力」や「忍耐」で進んできたとは言えないなと気付いたわけです。単に「楽しい」ということだけで進んできたとわかり、同時に努力や忍耐で頑張ろうとしていた時は「進んで行かなかった」ということもわかりました。

 

「楽しい」状態で進んでいるのを「頑張っている」状態と誤認識していたんですね。

 

恐らくですね、これに気付いている人と気付いていない人がいて、気付いている人は私と同じように「頑張らなくていいですよ」ってことを言い始めて、気付いていない人は「自分は頑張ったからここまで来れた」ってことを根拠に、誰かに対しても「頑張れ」って言い始めてしまうんじゃないか?と思います。これは無意識なので、良いとか悪いとかの話ではないです。

 

で、気付いていない人には2パターンあって、「実際に努力や忍耐で進んできた人」と「実は努力や忍耐ではなくて”楽しさ”で進んできた人」です。実際に努力や忍耐で進んできた人はそのまんまなので気付かないのは当然なんですが、楽しさで進んできているのにそれを努力や忍耐で進んできたと勘違いしている人は、「頑張る」という概念が一般とは違ってしまうのでここで話がおかしくなるんですね。

 

「頑張らないと自分が目指すところに行けない」という一般的な思考パターンの場合は、「頑張らない」がどういうことなのか理解できません。「頑張らない」ということが「楽(らく)をする」とか「なにもしない」になっちゃうんですね。つまり、こういう一般的な思考状態だと「頑張る」か「楽をする」かのどちらかしかないということなんです。

 

これは、頑張っている状態というのは努力や忍耐が必要になり、精神的にそれをずっと続けることができないので、必ずそれと同じくらいの休む期間が必要になってしまうからです。これは、恒常性によって自動的に起こります。しかし、「頑張る」ことが無意識で正義になってしまっているので、この休む期間さえも無視して頑張ろうとしてしまいます。その結果、自分をどんどんと追い込んでいってしまうわけなんですね。

 

「頑張らない」というのは、「頑張る」でも「楽をする」でもない状態ということです。

 

頑張る人は、頑張る状態か楽をする状態かを行ったり来たりしているので「不安定」です。反対に頑張らない人は、常にそのどちらかの状態ではないので意図的な行ったり来たりが発生せず「安定」しています。

 

このように、全ての物事は「安定」するように恒常性によって自動コントロールされているわけなので、この法則を理解することが物事をスムーズに進めていくには必要だということになります。

 

もちろん、努力や忍耐で進んで行ける人もいるんですが、それは一握りの人だけなんですよね。

 

ここまで考えると、実は「楽をする」という認識も一般的にはおかしなことになると気付きます。私の「楽」というのは「頑張らない状態」なんですが、「らくちん」ってことではなくてある程度の労力は使っている状態です。この辺りの認識も「頑張る」が正義の人には伝わりにくいんだなと思いました。