台風去って風が秋っぽくなってきましたね。
どうも、おっさんです。
月末まとめ以外の記事書くの久しぶり(笑)。
考え事は頭の中に結構あるんですが、なかなかまとまらないんですよね。
こういう時に「モチベーションが…」って言うんでしょうか?
・モチベーション
”人が何かをする際の動機付けや目的意識”
だそうです。
普段、なんとなく使っている通りですね。
私もなんとなく使っていましたが、最近(と言っても結構前かも?)この「モチベーション」について考えが変わってきました。
前は一般的に使われるように、何かをするには「モチベーション」が必要だと思っていたんですが、今はその「モチベーション」なるもの自体が幻想ではないか?と考えています。
例えば、私はロードバイクに乗り始めてちょっとした頃のことを言うと、速くなるには「心肺能力」が必要だと実感したものの、それを得るには追い込んだ練習が必要になるので、当時の自分のモチベーション的には難しいのではないか?と思っていました。
でも、結果的には出来たんですよね。
単なる「思い込み」だったということです。
どうして出来たのかというと、何度も言ってますが私は「ロードバイクを走らせるのが楽しい」から乗っているという部分があったからです。今も同じなんですが、どうすればロードバイクを上手く走らせることが出来るか?ということを考えていたので、それを追求していれば自然と能力は上がっていくんです。
まぁ、それ自体が「モチベーション」とも言えます。
今ちょっと話題になっている記事。
私も同じようなことを書いてます。
他人と比較するから辛くなるんですよって話です。
「承認欲求」を捨てましょうってこと。
でも、これ簡単じゃないんですよね。
もちろん、意識して続けていく内に変わっていくこともあるんですが、基本的にこういう風に追い詰められちゃう人はそういう思考パターンになっているからそうなるのであって、意識して「他人を気にしない」と考えるようにしても思考パターンはなかなか変わらないんです。
Twitterでこの記事について書いてあるツイートで、「自分は数値が気になっちゃうからサイコン外した」っていう人が結構いました。気になるから外すってことは思考パターンは変わってないってことです。ただ、それで幾分楽にはなるでしょうけどね。
この質問者さんは、ビワイチ150km、獲得標高2,000m山岳ロングライド、富士ヒル2回完走等ちゃんと結果を出しているんですが、周りの人と比べたらパッとしないと思っているんですね。
栗村さんも言っている通りに、数値はモチベーションに繋がるけれど、それによって心を折られてしまうリスクもあるってことなんですが、まさに、この質問者さんが自分の結果として示している実績(数値)で心を折られてしまっています。
おそらく、質問者さんはビワイチ150kmとか獲得標高2,000mとか富士ヒル完走とかを「達成感」でしか見ていないんだと思います。前に書いた通りに、「達成感」に執着しているとその行為をやっている最中は「苦痛」に感じます。そして、その「達成感」が他人より低い位置だったという現実を見て自分のしていることに「価値がない」と感じているのでしょう。そしてイコール「自分には価値がない」と思ってしまう。
これが「承認欲求」の負の力です。
だから、何かをする場合「承認欲求」は基本的に邪魔なんですね。
私は月末まとめとかで自分の実績を出してますが、別に「こんだけ”頑張った”んだ!」という感じでだしているわけではありません。単に記録的な感じで「こうでした」というだけです。(まぁ、他人がどう思うかは別ですが笑)
今は月間1,000kmは下らない感じで走っていますが、1年前までは月間500km以下とかでした。で、その当時は月間800km走れたらいいなーとか思っていたんですが、別に800km走れていないからダメだという感じでもなかったし、モチベーション的に言うと800km走るモチベーションがなかったとも言えます。
でも、今は1,000km走っています。
モチベーションが上がったから?
違うんですよね。
別に頑張って1,000km走っているわけじゃないんです。
単に、走ってたら1,000kmになっちゃいましたって感じなんです。
だから、モチベーションって何?って思っちゃうんですよね。
で、過去の自分が今の自分のやっていることをやろうとすると絶対に出来ません。
出来ないし、無理にやろうとするともう自転車に乗ってない可能性もあります。
多くの人は「自分の価値を証明したい」みたいな無意識の行動をとっています。
なので、その「価値があること」をしたがります。
徐々にそこへ近づけるように計画的に行動するならまだマシなんですが、何故か最短距離でそれを実行しようとするのでどうしても無理がかかってきます。無理がかかるとその行為は「苦痛」になり、楽しいとは思わなくなります。
そういう「苦しい」ことをしようとするから「モチベーション」とやらが必要になっちゃうんですね。
栗村さんはモチベーションについて「一定の期間」があるという考えです。これは他のことでも触れていて、例えば日本人が海外のレースで活躍するにはどうすればいいかということなんかも考えられていて、その場合でもモチベーションは長期間続くものではないから、子供の頃から自転車漬けになるのはよろしくないと言っています。
確かに、モチベーションを原動力として進んでいくならその通りなのかもしれないですが、私の言っている考え方で進んで行けるならそのモチベーションは必要ないわけです。もちろん、日本人が海外のレースで活躍できるようになるということはそれ相応の努力は必要になると思うので、私みたいにいつの間にか月間1,000km走ってましたとかいうレベルの話とは全然違うんですが(笑)。
私が思う理想の形は「楽しくやってたらこうなりました」っていうことです。
でも、一般的には「何かを得るには苦労が必要」となっています。
もう一つ。
「趣味なのに、どうして苦しまないといけないの?」
これは、「自分の価値を証明したい」という思考だからです。
「趣味なのに」って頭に付いてますが、別に仕事でも同じことですよね?
出世したいからやりたくない事でもやるし残業もする。
自分の価値を証明する為に。
私はこの趣味だから仕事だからってことも考えが変わってきました。
前はこのように趣味と仕事は分けて考えていましたが、今は全部繋がっていると考えます。
例えば、私は外で作業をすることがあるんですが、ロードバイクに乗る前は太ってましたし、外での作業なんて特に夏は暑くてしんどかったんですよ。でも、ロードバイクに乗り始めて痩せて体力も付き暑い中でも走っていることで、その外での作業が全くしんどいと思わなくなりました。
体も良く動くようになったし心肺も鍛えられているので息切れもしません。
逆に楽しくなりました(笑)。
どうして苦しいのかというと、その行為を楽しくできる状態ではないからです。
これは身体も思考もです。
でも、価値を証明することが大前提で思考行動しているので、自分が楽しいと思える範囲ではダメなんですよね。だから、苦しいことをしないといけなくなるし、それを続ける為にモチベーションが必要になるわけです。
「自分の価値を証明しないといけない」
「何かを得るには苦労が必要」
こういう思い込みに支配されている人って結構多いんじゃないでしょうか?
そりゃモチベーションが必要になりますよね。
この質問者さんは「ロードバイクが好きだったのではなく漫画が好きで乗っていただけ」という自分に気付いたけれど、それを周囲に知られると嫌われてしまうのではないか?だから辞めるに辞められないみたいな感じです。
これも、「自分の価値が下がってしまう」という思考から起こっているものです。
なので、ちゃんと辞めるにしても、新たにまた楽しく乗るにしても、そういう「自分の価値を証明する為の行動」を辞めない限り同じことの繰り返しになっちゃうんですよね。
私がいつも言っている通りに、ロードバイクって平地だけだったら誰でもなんとかなるんですが、山に行ったりする場合はそれなりの体力が必要になってしまうので、自分の走りたいところがあるならそれ相応の体力は必要になります。
体力がない場合は「苦しい」のでそこでモチベーションが必要になります。
でも、それ相応の体力があれば基本的にはモチベーションは必要ありません。
超簡単な理屈なんですが、「自分の価値を証明しないといけない」ので無視されます。
質問者さんは自分の価値を証明する為に、ビワイチや獲得標高2,000mや富士ヒル完走等をやっているだけなので、モチベーションがあれば出来ることでしょうが、なくなると「苦しい」しかないわけなのでそんなことやりたいと思いません。
私が考える世間一般で言われている「モチベーション」とは、
「自分の価値を証明する為に必要なモノ」
という感じです。
でも本来はそうじゃないと思うんですよね。
私が今のところロードバイクに乗り続けていられるのは「ロードバイクを走らせるのが楽しい」ということで、それの根本的な部分を言うと「どうすればロードバイクを上手く走らせることができるか?」ということです。
つまり、
「ロードバイクというモノを”理解したい”」
ということです。
興味がある物事を「理解したい」ということ。
本来のモチベーションって対象を「理解したい」という想いなのでは?と考えるわけです。
だとすると、その対象の本質から離れれば離れるほど「理解できない」わけなので、結局のところロードバイクに乗り続けられる可能性が高い方法としては、ロードバイクの本質である
「速く走る」
という部分は外せないと私は思います。
前から言っている通りに、レース志向の人ほど続きやすいのはこういうわけで。
対象を理解しようとすれば、自然とその本質へ近づいていく。
それが「楽しい」ってことなんじゃないかと思います。