おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

ロードバイクの近況

どうも、おっさんです。

 

ブログの更新頻度自体が少ないこともあるけれど、ロードバイクに関して最近はあんまり書いていなかったので書いてみようと思います(笑)。

 

この一年間ぐらいは月間距離が1,000km以上の月間走行時間が35~45時間ぐらいで、月間消費カロリーは20,000~25,000kcal。半年で見ると距離が1,300~1,400km、カロリーは24,000~26,000kcalぐらいになっているので、運動強度は徐々に上がってきたというところでしょうか。

 

常に言っていることなんですが、これは「走ってたらこうなりました」って言う数値なので、特に頑張ってこうしているとか努力した結果とかではないんですよね。

 

単に、「出来ることをしているだけ」ってことです。

「出来ること」っていうのも勘違いされる言葉なのかもしれないですが。

私としては「走ってるだけ」なんですけども(笑)。

 

FTPもですね、昨年の10月に計測したっきりなんですが、4.3倍前後ぐらいで推移している感じです。ここのところは測ってないのでなんとも言えないですが、いつものコースを走っていて感じるのが平均パワーやNP(標準化パワー)が数値的に上がっているのは確認できているし、なにより走っている時の自分の力の出方が以前とは違ってきているなということです。

 

フォームやペダリングについても、その自分の力の出方が安定してきていることで一緒に安定してきていると感じます。以前は、調子が良い時と悪い時でフォームやペダリングに出る影響が結構大きかったので、実際に走っていると調子の良い時は気持ちいいんだけど、調子の悪い時はあんまり気持ち良く走れないという感覚の差が大きかったです。今も、そういう差はあるにはあるんですけども、それがかなり小さくなってきたなと感じています。

 

で、私が思うのが、どんどんと「安定」方向へ向かっているなということです。

全ての物事が「安定」していっている感覚です。

 

これは一体どこから来ているのかと考えると、やっぱりそれは「恒常性」なんだろうなということに落ち着きます。恒常性は状態を一定に保とうとする性質なので、私の活動(ロードバイクを走らせるということ)の状態を一定に保とうと恒常性が働いてくれているんだなということを感じているんですね。

 

つまり、私は「走っているだけ」で、後は恒常性がその私の活動に対して安定するように働いてくれているだけだということなんです。

 

例えば、閾値辺りの心拍(私の場合は180~185辺り)で走るとします。この強度で走ることができる時間というのは、その人の活動状態(体力)で既に決まっています。え?と思うかもしれないですが決まっているんですよ。それで、その決まっている時間を超えるとその強度で走れなくなります。パンッと走れなくなるということではなくて、強度が段々と下がって行ってしまうということです。

 

この現象自体も「恒常性」によるものなんですね。

 

恒常性は活動を安定させようとするので、その強度でどの程度の時間活動すれば身体に対しての安定が失われてしまうかも見ています。その安定が失われてしまう状態になっていくと「疲労」として知らせてくれます。だから決まっているんです。

 

私は自分の活動が「安定」してきているのに気付いているんですが、それって元々は恒常性の働きによるものなんですよね。これは恒常性の安定させようとする働きに対して私自身が身を委ねる割合が増えていっているということなんです。

 

余計なことをしなくなってきたってことです。

 

恒常性はその人の活動に合わせて全ての状態を安定させようとしているだけ。その人の活動量が増えればその状態に合わせて安定させようとするし、活動量が減ればその状態に合わせて安定させようとするだけ。

 

それを阻害する動きを見せると、恒常性はそれに対しても安定させようと反応します。

その阻害した場合の反応は大体マイナスに働くということです。

 

身体に表れることだと上記の「疲労」とか、それが進んで行くと慢性的になってさらに進むと「故障」になる。それ以外だと、メンタルに表れる部分で「やりたくないなぁ」と感じることも恒常性の働きによるものと考えられます。(疲労が慢性化するとそれがメンタルに表れるということもある)

 

この辺は前にも似たようなこと書いたと思います。

 

こういうことって始めたばっかりだと情報(自分自身のことを知らないってことです)が少なすぎてわからないですし、気合いとか根性とかで推し進めようとすればするほど恒常性が反応してしまうので、それに打ち勝つだけの身体と精神力がある一握りの人たちしか進んで行くことができないんですよね。

 

よくあることで、「メニューをこなす」っていう縛りみたいなものがあるじゃないですか(笑)。このメニューをこなせばパワーが上がるみたいな。でも、それって「パワーを上げる」っていうことを根拠にしてすることが既に決まっていて、その人のその時の状態がどうなのかは関係なくそのメニューをこなさないといけないわけですよね?そのメニューをこなすことが出来なかったら「自分はまだまだ努力が足りない」とか「出来ていない」という考えで、だから今の状態は「悪いことなんだ」みたいになってしまいがちです。

 

でも、恒常性からしたら「その運動したら安定性が失われますよー」って「疲労」として教えてくれているだけなんですよね。だから、そのメニューがこなせないっていうだけで。そのお知らせを無視して無理に続けていくとどんどん安定性は失われていくので、そのことの方が本当は「悪いこと」だということです。

 

それじゃあ能力(パワー)が上がっていかないのでは?って思うのかもしれないですが、私の場合は徐々にではありますが上がっていってるので、上がらないというのはないと考えています。

 

私は自分が出来ることをやっているだけなんですけど、その出来ることっていうのは「これぐらいやったら疲れるな」っていうのを強度と時間で割り振って、それぞれの強度と時間ごとで「疲れる」ところまできっちり「走っているだけ」なんですよ。つまり、恒常性が反応するところまでが「出来ること」っていうことです。

 

この「反応」が頻繁に起こることで恒常性が「この人は安定性が失われやすくなっているから機能を上げておきましょうね」という安定させるアクションを起こすわけです。するとパワーが上がる。ただ、このパワーの上がりやすさには強度が関係してくるので、その「疲れる」ところの強度の割合が高いほど上がりやすくなると思います。

 

でも、強度が高いと疲労しやすいので時間が短くなるのと、それを何日も続けてすることができません。回復するまで待っていると全体のボリュームが減って恒常性が反応する頻度が少なくなる。だから、必然的に低強度と長時間のライドもするようになってくる。

 

結局、その時の状態に合わせて自分が出来ることをやっていくしかないわけです。

 

そうこうしていくうちに、恒常性の働きによって全体の安定性が高まっていき高強度でも時間が伸びてくるようになるので、全体の時間が変わらなかったとしても高強度の割合が自動的に増えていき、結果としてパワーが上がりやすくなるというわけなんですね。(全体の時間が伸びればボリュームが増えるので恒常性が反応する割合も増える)

 

例えば、CTL値がほとんど変化しなかったとしても、TSSの内容(IF)が全体的に高強度寄りに変化することによって負荷が高まりパワーが上がっていくわけです。それも、恒常性によって自動的に変化していくということ。

 

ということから、余計なことをするほど状況は悪化するのでは?という結論になります。

 

私の場合は、単に走りたいから走っているという状態であるだけで、勝手に走力が上がっていっているという結果が起こっているだけなんですよね。しかも、その状態に身を委ねていて心地好い感覚が広がっていて、さらに「走ることが楽しい」と感じていることからその行動が自然に続いていっているというわけです。

 

「頑張る」ことってマイナス要因にしかならないのでは?と感じます。