おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

足るを知る者は富む

昨日は予定通りに走ってきたのですが、予報通りに暑かった…(^^;

春秋用の長袖インナーに、半袖ジャージで走りましたよ。

先月末から、中1~2日間隔で走れているので調子もだんだん上がってきました。

 

どうも、おっさんです。

 

今回も前回・前々回のつづきのような内容かも。

前回・前々回の記事はこちら

nicolarossi.hatenablog.com

nicolarossi.hatenablog.com

 

「足るを知る者は富む(知足者富)」ということばを知っていますか?

思想家である老子のことばです。

 

ことわざとしてや道徳等で教わったり、漢文で習ったり、あるいは直接目上の人に言われたり(笑)するかもしれません。

 

※「なんだコイツ、いきなり説教始めやがった。自転車の話じゃねーのかよ!」と思ったそこのアナタ。安心してください、ちゃんと自転車の話に繋げますから(笑)。

 

「足るを知る(知足)」は仏教由来の考え方で、「身分相応の満足を知る」という意味で使われています。つまり、身分に合わない満足に欲を出さずに、身の丈に合ったところで折り合いをつけるということですね。

 

なので、「足るを知る者は富む」ということばの意味は…

 

「身分相応の現状に満足できる者は豊かになる」

 

ということです。

この場合、豊かになるのは「心(精神)」ということですね。

 

現代では「身分相応な金銭感覚を持っていれば、結果的にお金が貯まって豊かになる」という感じで使われる場合もあります。(笑)

 

私自身はこのことばに対して「まぁ、そうだろうな」ぐらいにしか思っていなかったのですが、一方で「現状に満足してたら”成長”しないよね?」とも感じていて、自分や他人に対しての戒めとしてのことばとしか思っていませんでした。

 

ただ、これはある一文の中のことばなので、このことばの前後にも繋がったことばがあるんですね。

 

人を知る者は智、自ら知る者は明(めい)なり。

人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。

足るを知る者は富み、強(つと)めて行う者は志有り。

その所を失わざる者は久し。

死して而(しか)も亡びざる者は寿(いのちなが)し。

 

これが全文で、この中の

 

足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り。

 

ということば。

意味は「満足することを知っている者は豊かになり、努力を続ける者はそれがわかっている(もしくは、それがわかる余地がある)」というような訳し方をされているようです。つまり、努力を続ける者は「足るを知る者は富む」ということがわかるということなので、「現状に満足すること」っていう解釈の仕方は違うんじゃないの?と思いました。だって、努力を続けているんだから「現状に満足しよう」って思わないでしょ?(笑)。

 

ここで、一旦別の話に飛びます(笑)。

 

「フロー(体験)理論」って知ってますか?

私は最近知りました(笑)。

心理学者のチクセントミハイ博士が提唱した理論です。

 

内容は、人が何かに取り組んでいる時に、その当事者が自己の没入感覚を伴う楽しい体験をすることで、その状態にある時は高レベルの集中力を持ち、楽しさや満足感、状況のコントロール感等を得られるというような理論です。(詳しくは各自調べてください笑)

 

例えられているのが、スポーツ選手等がよく言う「ゾーンに入った」状態ということ。

 

これを知った時に私は「あっ!」と思いました。

そう、私がロードバイクタイムアタックをしている時の状態に酷似しているのです。

 

特に、「その取り組みが当事者の技量(レベル)に対して難しくも易しくもない丁度良い難易度で、絶妙のバランスの上にいる時」とか、「自分が行っている行動に明確なフィードバックがある」「その行動によって取り組みが上手くいっているというコントロール感が得られる」という部分。

 

そして、その取り組みが「楽しい」「満足感がある」ということですね。

 

私は、こういう感覚をタイムアタックでタイム更新できるかどうかという状況の時に感じることができます。

 

この状態の一番の肝は

 

「自分の技量(レベル)に対して、その取り組み(挑戦)が丁度良い難易度か?」

 

ということです。

易しすぎると「退屈」に感じますし、難しすぎると「しんどすぎる」と感じます。

 

例えば、私がいつものコースでタイム更新する状態にある時のパワーは200wを継続的に出せている時です、それに対して150wしか出していないのであれば「退屈」に感じますし、250w出していれば「しんどすぎる」と感じて途中で失速します。自分のコントロール下から外れてしまうんですね。

 

そうすると、「楽しさ」や「満足感」は得られないわけです。

 

ということを知ったうえで老子

 

足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り。

 

を、再び考えてみましょう。

 

努力を続ける者は「足るを知る者は富む」ということをわかっているということでしたよね?

つまり、「足るを知る」ということは

 

現在の自分の技量を知り、

その技量で満足を感じる「伸び代」を知る

 

ということです。

 

自分の技量がわからなければ、それに対する「満足感」を得られる範囲がわからない。

 

自分の技量に対して過大な「満足感」を求めても到達できないですし、自分の技量に対して過小な「満足感」を求めてもそれでは退屈に感じて「満足感」を得られない。自分の「伸び代」に合った達成目標を理解しなければ「満足感」は得られないということです。

 

前に紹介した「120㎞をある程度楽に走破したいけれど、今は60km程度しか楽しく走れない」とか言っている人なんかは、自分の技量(楽しいのは60kmまで)に対して過大な「満足感」(120km走破)を求めている例です。こういうミスマッチに気付かないで続けると「しんどい」からイヤになって辞めてしまう原因にもなりえます。

 

nicolarossi.hatenablog.com

 

普段の生活でも使えることばにすると

 

自分が満ち足りる(足る)最小限の範囲を知ることができれば、その範囲に対しての成長も期待でき、達成できれば心も豊か(平穏)になる。そして努力を続けている者はそれを(無意識のうちに)実践している。

 

ということですね。

 

「足るを知る」に対して一般的に言われている「身の程をわきまえろ」とか「今の自分に満足しろ」とかいう解釈とは真逆なのではないかと思いました。

 

上記のことを考えて行くと、老子は「フロー体験」の経験者ではないかと思えますね。

「フロー(体験)理論」自体は太古から存在していると考えられているようですし。

「足るを知る」は仏教由来なので、仏教関係者は当たり前に経験しているのかも。

 

と思って調べると…

 

www.youtube.com

さすがですね。

 

もう一つ、フロー体験の只中にある方の動画

 

www.youtube.com

ヒルクライムでは著名なある女性ライダーが白石峠をアタックしている動画です。

パワー値が表示されているのでわかりやすいですが、大体210~230w程度を保って白石峠を登っています。

 

パワー値が安定しているということと、ベストタイムを出した時の動画ということで、これが「難しくも易しくもない丁度良い難易度で、コントロール下に置かれた状態」であるということがわかります。(もし、コントロール下に置かれていない状態だとパワー値は不安定になる)

 

傍から見ると「息も苦しそうだし、しんどそう」と思うかもしれないですが、本人は集中して自身のコントロール感とそれに対するフィードバックを感じながら「楽しく」走っていると思います。それがフロー状態です。

 

この動画のコメント欄に「自転車で速く走って何になるの?」みたいなコメントがあるんですが、本人は意味があるとかないとか関係なくて、単純に「楽しい」から走っているだけです。一般人は「こんなしんどいことしてバカじゃないの?」とか、「しんどいことが好きなの?」とか思うかもしれないですが、単純に「楽しい」だけなんです。

 

老子はそういう状態を「努力を続ける者ならわかるよ」って言っているんですね。

 

それが

 

足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り。

 

ということばなんです。