どうも、おっさんです。
前回の記事
で、「暗黙知的な自己学習」が起こらない場合、形式知的な外部知識に頼らなくてはならなくなり、技術の習得が難しくなるという話をしましたが、「暗黙知」と「形式知」について改めて考えてみたいと思います。
「暗黙知」は前にも話しましたが、
”無意識下にあり言語化されない経験的な知識”
のことで、反対に「形式知」とは
”言語化されていて誰にでも認識可能な知識”
のことです。
この記事
で書いていますが、つまり「形式知」とはマニュアル化のことですね。
暗黙知は言語化されていないので、基本的に他人が理解することが難しいということがわかると思いますが、では形式知であれば理解が簡単になるのかと言うと、実はそうではないということも上の記事で書いてる通りです。
ビジネスの世界でも、この暗黙知と形式知の関係を取り扱っていて、「ベテラン社員の”暗黙知”を”形式知化”して、会社全体の知識にして継承する」という取り組みが行われています。
しかし、私が話している通りに、単にマニュアル化しただけでは知識の継承は難しいです。
何故なら、暗黙知は”経験的な知識”である為、実際に経験しないと習得ができないからですね。
例えば、昔ながらの職人にある「仕事は見て覚えろ(盗め)」という考え方。
近年はこういうやり方を否定する考えになっていますが、”見て覚えろ”というのは暗黙知的な自己学習のことを言っているのであって、意地悪ではなく自己学習を促しているということになり、時間はかかるかもしれないですが技術が身に付く可能性が高くなります。
マニュアル化したほうが一見して習得が早く簡単なように見えますが、経験的な知識としての習得は出来ていない状態で、表面的なことをなぞっているだけになります。
スポーツの場合は実際に身体を使うわけなので、形式知に即効性がないことはほとんどの人が知っていますよね?
例えば、この記事
で書いていますが、ロードバイクのペダリングの「3つのポイント」というのが、形式知化・マニュアル化の具体例で、それを知っただけではロードバイクを走らせるという行為が上手くなるわけではないということは誰でも知っていますよね?
この記事の通りに、暗黙知とは「抽象的」で形式知とは「具体的」のことなので、抽象的な事柄を誰かに説明しようとすると、言語化して具体的にしないといけなくなるので、その時点で暗黙知に含まれている抽象的なわかりにくく説明し辛い部分は省かれてしまいます。
その省略されてしまった部分が”経験的な知識”なので、そもそも暗黙知を形式知化するというのは不可能に近いことだということになります。
「いやいや、でもマニュアル通りにやって上手くいく人もいるじゃん」
と思うかもしれないですが、これも既に書いている通りにそのマニュアルに書かれていない暗黙知的な部分を逆算して探る能力がある人や、そもそもその行為に必要な暗黙知を有している人だっただけで、単にマニュアル通りにやるだけの人ではない可能性が高いです。
一つ、私が気付いたロードバイクにおける暗黙知があるんですが、
”ロードバイクは勝手に進む”
ということです。
「は?ペダル回さないと進まないだろ」と思うかもしれないですが、この「勝手に進む」という感覚はロードバイクに初めて乗った時にほとんどの人が感じているはずで、いつの間にかその感覚を忘れているだけです。
自転車はほとんどの人が子供の頃から乗り慣れていて、その乗り慣れている自転車はロードバイクと比較して重いし駆動効率が悪く進みません。
ロードバイクは全ての抵抗が低くなっているし、なにより”前傾姿勢”なので体重がペダルに乗り易くなっていて「勝手に進む」感覚が強いです。
この「勝手に進む」なんですが、ロードバイクだけではなくランニングでも同じです。
ランニングの基礎で、「重心を前に移動していくとそのまま倒れないように脚が一歩出て、その動作の繰り返しが走るという行為」というのがあります。
つまり、重心移動を利用することによって勝手に前に進んでいくということなので、ロードバイクと同じですよね?
本当は勝手に進んでいくんだけど、「自分が頑張って進んでいる」と思い込んでいる人ほど、ランニングなりペダリングなりのフォームがおかしなことになってしまうんだと私は考えます。
で、そのおかしなフォームを正そうとして”形式知的”な知識を入れようとするわけなんですが、そもそもの”暗黙知”が間違っているので、なかなか直らないということになっているんですね。
誰でも色々な情報にアクセスすることができる今の時代でも、上手くいく人と上手くいかない人の割合が変わらないのは、形式知だけでは物事は上手くいかないという事実があることを証明していると言えますね。