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おじさんのブログ

守破離

どうも、おっさんです。

 

前回の記事

 

nicolarossi.hatenablog.com

で、一般的な”普通の人”は何かを習得したりする経験があまりないからか、「習得する」という過程があることを理解していないのではないか?ということを書いたのですが、その辺りを掘り下げてみたいと思います。

 

何かを習得する過程の話で「守破離」というものが良く知られていますが、これは簡単に

 

1.基本を学ぶ(守)

2.基本を土台にして応用する(破)

3.応用から独自のスタイルを確立する(離)

 

ということで、武道や茶道などの武術や芸術を習得する過程で昔から言われていることです。

 

もちろん、現代でもあらゆる習い事などの習得が必要な物事で言われていたりもするのですが、結構人によって解釈が違ったり表面的にしか理解できていないようにも感じます。

 

そもそも、ほとんどの人は「守」までで止まってしまうらしく、「破」や「離」まで到達できる人は一握りしかいないそうです。(正規分布ですね)

 

なので、あらゆる物事で「守破離」を実践すれば、誰でも習得が可能というわけではないことがわかります。

 

では何故「守破離」と言われているのかを考えると、まず「守」の基本を守るということがほとんどの人には理解できないからだと言えます。

 

現に、例えば趣味でロードバイクを始める人を見てみると、基礎練習などをする人はほとんど居らずとにかく距離を走ろうとする人が多いですよね?

 

そういう人は当然基礎が出来ていないのでそのうち行き詰るわけですが、そこで初めて「守」の存在に気が付きます。(気付かず辞めてしまう人も多いですが)

 

”「守」(基本)が出来ていなかったからダメだったんだ!”

 

ということで基礎練習を始めたりするのですが、これは前にも書いていますが「基礎練習なんて地味で退屈でつまらない」と思っている人が多いので、なかなか続けていくのは難しいと思います。

 

そういうことから「守」で止まってしまう人がほとんどなのだと考えられます。

 

言ってみれば、ほとんどの人にとって「守」が精一杯なのであって、そこがゴールになってしまっているということで、それは違うよという意味での「守破離」があるということも言えます。

 

 

「守」は基本を守るという意味ですが、武道や茶道などの基本の”型”を守るということで、”型”というのは「形式知」と置き換えられます。

 

私の「守破離」の解釈を簡単に表すと

 

・「守」=形式知

・「破」=暗黙知

・「離」=全体

 

だと考えています。

 

「全体」というのはその物事を構成している全体像のことで、これを理解するのが最終的な目的です。最終的な目的(目標)なので、全体を全て把握するというよりは「本質を掴む」ことで全体像を予測するとも言い換えられます。

 

※そもそも、その全体が固定されているとは限らず変化しているとも考えられるので、全てを把握するのは現実的ではないからです。

 

「守」から離れて独自のスタイルを確立するから「離」と言われていますが、離れた所から全体を俯瞰出来るようになるのが「離」とも言えます。

 

イメージで言うと、「守」は全体の中の”一部分だけ”を見ている状態で、その一部分が無数に繋がりなく散らばっているように見えています。(形式知

 

「破」では、その無数に繋がりなく散らばっている「守」が、実際は見えない繋がりを持っていることがわかるようになります。(暗黙知

 

そのようにして、最終的に離れた所から全体像を見ることができるようになった状態が「離」ということだと言えます。

 

「離」の状態になっても「守」を忘れてはいけないというようなことが言われていますが、そもそも「離」が理解できた時点で「守」が重要なことも理解できるので、もし「守」を疎かにしてしまう場合は「離」が理解できていないということになります。

 

というより、「全体」がわかるということはその全てが重要なことがわかるので、忘れようがないという話なのですが。

 

 

このように考えると、「守」で止まってしまう人は一部分しか見ていないということで、全体が見えていない人というか全体があるということを知らない人とも言えます。

 

逆に、「破」や「離」に到達できる人は全体があることを、無意識的に知っているのだと考えられます。

 

つまり、これ自体が「暗黙知」なので、これまでも話してきた通りに環境によってある程度決まっていることだということで、結果は正規分布で現れているわけなんですね。

 

「守」を通してその先が理解できるようになるわけではなく、全体があることを無意識に知っている人が「守」をきっかけにしてその先に到達しているだけで、「守破離」を実践していれば誰でも習得できるわけではないということです。

 

「守」で止まってしまう人がほとんどだという現実がこれを示しています。

 

まとめると、

 

1.無意識に「全体」を知っている

2.「守」を通してその「全体」を見ようとする

3.その「全体」を見ようとする過程で「破」を見つける

4.「守」と「破」を繋げながら全体像を予測する

5.「離」に到達する

 

という流れだと考えられます。

まず「全体」という認識がないと成立しないんですね。

 

ただし、「守」を通った人とそうでない人とではそれなりに”差”が生まれるわけなので、「守」で止まってしまった人でも比較して一定の優位性を持っています。

 

それを「習得した」と勘違いしているわけですね。

なので、そういう人に向けて「守破離」と言われているということです。