どうも、おっさんです。
タイトルの「コラテラルダメージ」は直訳すると「副次的な被害」で、「戦時の民間人被害」や「政治的にやむを得ない犠牲」という意味もあります。
前回の
記事で書きましたが、「主体的な人が行動すると受動的な人に対して害になることもある」という話と本質的には同じです。
これは「陰陽」のことで、すべての物事には陰と陽があって、この二つがバランスを保ちながら成立しているという考え方ですね。
正規分布でも書きましたが、
元は一つのエネルギーが分散して分かれているだけなので、陰と陽はお互いに相互作用しながら成立しているわけです。
元のエネルギーを「100」だとすると二つに分かれれば「50:50」になるのですが、常に均衡しているのではなく「60:40」だったり「30:70」だったり変化していて、それを「50:50」に向かって引き合っている状態と言えます。
正規分布で平均値付近に分布が多くなるのもこの理屈が当てはまります。
コラテラルダメージの「やむを得ない犠牲」という部分だけを見ると、一般的には受け入れがたい事象のように感じる人が多いと思うのですが、物事には「陰陽」があってそのバランスの上で成り立っているという事実は変えられないということです。
例えば、先の能登半島地震で自主避難先への物資運搬を取りやめると輪島市は決定したのですが、これは人員の配置の問題でリソースが足りなくなったことへの対処です。
しかし、当の避難者からすれば「切り捨て」にも見えるわけで、実際インタビューに答えた当事者はそう言っていました。
限られたリソース(エネルギー)をどう振り分けるかは行政しか判断できないし、そのリソース自体を一般人は把握していないわけなので、ただ切り捨てられたようにしか見えないということです。
簡単に言うと、視野が広いか狭いかという話で。
別の例え話をしましょう。
「オアシス」というイギリスのバンドがあるのですが、主要メンバーのギャラガー兄弟の喧嘩によって解散したと言われています。二人とも口が悪く、他のバンドに対して喧嘩を売るような言動をしたりして、まわりからも良くは思われていなかったような存在でした。
しかし、生み出す音楽は最高です。
一般的には「楽曲は最高なのだから暴言や素行を直せばもっと良いのに」と思う人は多いでしょう。
が、それはありえないと私は考えます。
暴言を吐かず素行の良い人から「オアシス」は生まれません。
すべての原因を含めての結果だからです。
ギャラガー兄弟は労働者階級の出身で、兄のノエル・ギャラガーは「最近の労働者階級の若者からは労働者階級を代弁するような声が出てこない」と嘆いたりしていますが、オアシスが活躍した当時とは状況が変わっているのでしょうね。
一般的には階級社会と聞いてあまり良い印象を持たないでしょう。そういうのは無い方が良いと考える人が多いと思います。
でも、「オアシス」が出てきたのはそういう背景があったからです。
これらの話は「コラテラルダメージ」と言えますし、物事は陰陽で構成されていて「陰だけ」「陽だけ」という状態は存在しないということです。
ところが、一般的には「良いことしかない完璧な状態があるはず」と信じている人が多いので、行動して知ろうとすることのない受動的な普通の人は、現状に不満を持つことが多くなるというわけですね。