おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

進撃の巨人

どうも、おっさんです。

 

いよいよ、アニメ「進撃の巨人」のファイナルシーズン後半の放送始まりましたね。て言っても、私はリアルタイムで観てたわけじゃなくて昨年一気に観たんですが(笑)。

 

正確にはだいぶ前に初めの方だけ観て放置してたのですが、どこかで「進撃の巨人は現実世界で起こっていることを描いているから良い」っていうのを見て、また興味が湧いて観てみたというところ。

 

確かに現実世界をうまい具合に隠喩していて、視聴者もそういう部分に対して色々な反応をしているようでしたし、何よりも物語の構成が素晴らしいのと合わせて伏線とその回収がすごいです。これは人気が出るのもわかりますね。

 

色々と書きたいのですが、とりあえず観たことがない人にも観てもらってから書いた方がネタバレにならないので(笑)、アニメの最終話が終わるまでは書かないことにします。是非観てみて下さい。

 

ただ、物語の性質上描写が結構残酷(世界は残酷)なので、その点は注意が必要かも。しかし、それも作者の意図があってのことなので、観ていくと必然性が分かるのではないかな?と思います。

 

 

ネタバレにならない程度に、「進撃の巨人」の面白さはどこから来ているのか?を少し考察してみたいと思います。

 

上で書いたように「現実世界の隠喩」という部分がまずあって、当たり前にこの物語は完全なフィクションなんですが、現実世界と自然にリンクさせられてしまい没入しやすい構造になっているからだと考えます。

 

さらに、伏線とその回収が素晴らしく、物語を進めていくと「え?そういうことだったの?」みたいなことが頻繁に起こります。そして、改めてその伏線シーンを観返してみると初めに観た時とは”違う見方”になっていることに気づきます。

 

もちろん、伏線とその回収自体が物語において面白さの要因になっているのはそうなんですが、この「見方が変わってしまう」という部分は進撃の巨人のテーマとしてはかなり重要な部分なんですね。

 

作者は恐らく意図的に視聴者(読者)の心を揺さぶることによって、ある”気づき”を与えつつ自ら考える方へ誘導しようとしています。そこに気づくかどうかは人それぞれなんですが。

 

ただの娯楽として観ても面白いストーリーですし、伏線とその回収を予測しながら楽しんでもいいですし、そこからの気づきで色々と考えるのも楽しい作品だから、多くの人を引き付ける魅力があるんじゃないかな?と思ったのでした。