おっさんの外部記憶装置

おじさんのブログ

高強度トレーニングをしない人の強度のズレ

どうも、おっさんです。

 

前回の

nicolarossi.hatenablog.com

記事で書いた、高強度トレーニングを避けたい人が「高強度は筋トレ」と思っているのは、無酸素領域で走っているからという部分を数値で見ていきたいと思います。

 

レーニングの指標としてはパワーが一番わかりやすいので、パワーゾーンの区分けを見てみましょう。

 

L1 回復走      ~ 55%

L2 耐久走     56~ 75%

L3 テンポ走    76~ 90%

L4 閾値      91~105%

L5 VO2max      106~120%

L6 無酸素運動    121~150%

L7 神経筋      151%~

 

FTP(1時間持続可能パワー)を100%として見ます。

ゾーン(レベル)の意味は、その「強度」で走るとそれぞれの領域が刺激されて能力が伸びるということですが、同時に、その領域で走るにはこれぐらいの「強度」が良いですよ、とも言える指標です。

 

前に書いた

nicolarossi.hatenablog.com

この記事での、「一般男性のFTPは100w」という前提で見ていくと、%をそのまま「ワット(パワー)」に置き換えてもらうとわかりやすいと思います。ただし、この指標は全ての人に完全に当てはまるというわけではなく、人によって領域がずれる場合もあります(極端に変わるわけではないですが)。その点は、頭に入れておいた方が良いですね。

 

前回の記事でも書いた通りに、高強度のトレーニングをしない人というのは、ロングライドを中心として走っていると思います。その場合に、どの領域で走ればいいかというと「L1」と「L2」の領域です。

 

FTPの75%以下なので、パワーで言うと「75w」以下ということです。

 

パワーで言われてもパワーメーターがないとわからないと思うので(笑)、体重60kgの人が追い風2m/sの平坦路を75wで走ったら、計算上の速度は

 

「23.6km/h」

 

になります。

追い風2m/sにしているのは、自然界では無風はほぼ無いということと、無風だと感じている場合でも1~2m/s程度の追い風になっているからです。もちろん、向い風だとこれより速度は落ちますし、本当に無風の場合も速度は下がります。追い風2m/sというのは比較的条件の良いコンディションと言えます。

 

この、「23.6km/h」という数値を見て、おそらくほとんどの人が「遅い」と思うんじゃないでしょうか?。それは「30km/hは当たり前」みたいにネットで書かれているので、そう感じてしまうんですね。でも、一般素人の実力としては、ロングライドの平坦ではこれぐらいの速度が丁度良いということです。

 

では、上の条件と同じで、今度はその「30km/h」で走るにはどれくらいのパワーが必要なのかというと

 

「143w」

 

になります。

75wの倍近く必要です。

 

この「143w」をパワーゾーンに当てはめたら?

 

無酸素運動

 

です。

はい、そのまんまですね(笑)。

 

しかし、ここからが本当の問題です。

上で書いた通りに「30km/hは当たり前」なので、そう思っている人はこの強度の運動でさえも「高強度」だと思っていないかもしれません。

 

ということは、実際に「これが高強度」だと思って出している強度って…?

おそらく、FTPの150%以上は出しているのでは?

つまり、

 

「高強度トレーニングは筋トレ」

 

という通りになっちゃっているわけです。

もちろん、ちゃんとトレーニングすればFTPはどんどん上がっていくので、この辺りの出力は全然問題なくなっていきますが、ロングライド中心で乗っているだけではFTPはほとんど上がらないので、いつまでたっても「高強度は筋トレ」になってしまうんですね。

 

ちなみに、上と同じ条件で「30km/h」で走る状態が無酸素領域を抜けるのは、FTPが最低120w以上程度になってからということになりますが、ちゃんとトレーニングすればそれぐらいは必ず上がります。

 

FTPを元にしたパワーゾーンという指標を知れば、頭で理解することは容易だと思います。

 

そこまでわかると、パワーゾーンを指標としてトレーニングするのであれば、前回の記事で書いた「閾値」付近で走ればいいんだなということにも気付くでしょう。

 

閾値」付近のパワーを上と同じ条件で速度換算すると

 

「26.8km/h」

 

になります。

じゃぁ、これぐらいの速度で走ったらいいのか?というと、そう簡単ではありません。

何故なら、実際には風速2m/sの追い風の平坦はずっと続かないからです(笑)。

(※そもそも、閾値はそれぞれ違うので速度での管理はできません)

当たり前の話ですね(笑)。

 

パワーメーターがあれば数値を確認しながら走ることも出来るんですが、すぐ買えるような安い機材ではないですし、なにより数値に頼ってばかりなのもあまりよくありません。そこで、

 

タイムトライアル

 

という練習方法が出てきます。

毎回、決めた同じコース・距離を走ってタイムを縮める練習です。

 

次回は、この「タイムトライアル」について書きます。

高強度トレーニングは筋トレと同じ?

どうも、おっさんです。

 

とあるYoutube動画のコメント欄で…

 

「高強度トレーニングは筋トレと同じだからやらない」

 

と書かれていました。

別に、筋トレがしたくてロードバイクに乗っているわけではないから、低~中強度のロングライドで十分ということらしいです。

 

見た瞬間、「え?」と思いました。

そして、同時に「あー、そういうことか!」と。

 

前回の記事でも指摘していますが、高強度のトレーニングを頑なに拒む人がいます。それは「しんどいことはしたくない」ということなんでしょうし、ロングライド中心に乗っているだけであれば、する必要性を感じないということもあるでしょう。

 

この「高強度トレーニングは筋トレと同じ」という考えですが、完全に間違いです。

 

レースで順位を争う場合の走力を考えると完全に間違いとは言い切れない(ゴールスプリント等を考えると筋トレ要素も入ってくる為)ですが、少なくとも私が想定して話している「その辺を走っている素人」には当てはまります。

 

有酸素運動での高強度トレーニングとは何を目的にしているのかというと

 

「心肺能力の強化」

 

です。

具体的に何を強化するのかというと

 

閾値の底上げと安定」

 

です。

閾値と言っても色々と解釈があるのですが、ここでは有酸素運動の限界点(無酸素運動に切り替わる前)とします。つまり、著しく疲労が溜まり始める前の地点で、その限界点を越えなければ運動を続けることが出来ます。

 

閾値を上げるということは、酸素を取り入れてエネルギーに変える能力が上がるということなので、パワーが上がりそれによって走力が上がります。

 

「安定」は、心肺能力が上がってくると心拍が安定して急激に上昇することがなくなり、なかなか無酸素領域に入って行かなくなるということです。意図的に無酸素領域に入れない限り安定して有酸素能力を発揮できます。

 

有酸素運動での高強度トレーニングというのは、酸素をより多く取り込んで、より多くのエネルギーを作り出し、使えるパワーを増やす為にするということになります。エネルギーの供給量を増やして、身体(筋肉)を効率よく動かすのが目的です。(もちろん、運動しているので連動して筋肉の能力も上がります)

 

なので、筋肉そのものを鍛える「筋トレ」とは能力を高める方向性が違います。

前回の記事での

 

「剛脚だろうが、長く走れるスタミナがなければ意味がない」

ヒルクライムは持久力がないと後半力尽きる」

 

という考え方は、この「高強度は筋トレ」という勘違いからも来ているのではないか?と思いました。つまり、高強度の領域は「筋力の領域」だと勘違いしているということです。筋力がいらないということではなくて、瞬発的な筋力の領域だと思っているということ。

 

瞬発的な筋力の領域はまさに「無酸素領域」なのですが、有酸素運動の高強度トレーニングはその領域に入りにくくする為のトレーニングです。なので、「高強度は筋トレ」とは真逆なんですね。

 

どうしてこんな勘違いが発生するのかというと、それは本人自身が高強度では無酸素運動になっているからでしょう。つまり、瞬発的な筋力に頼った運動をしているということです。ということは、閾値を越えたところで運動しているということになるので、当たり前に

 

「しんどい」

 

のです。

だから、そんな「しんどい」ことはしたくないとなるんでしょうね。

 

私が思うのは、やっぱりこれは初心者がロングライドをすることの弊害なのではないかな?ということです。一般的に、ロングライドって目的地や通る道を決めていたとしても、「強度」を決めて走るなんてことしないでしょう?ロングライドの行程中に、その時々の気分で強度を上げ下げして走る。気分が乗ってたら飛ばすし、疲れたらゆっくり走る。峠に来たらちょっと頑張ってみるとか。

 

走り始めの体力のある時や、気分の乗ってる時に無酸素領域で走って「しんどい」と感じ、その「しんどい」のは続けたくないから今度は低強度で走る。中強度もトレーニングしていないとそんなに続かないですからね。

 

そこで、私がやってる40km程度のTTはおススメなんですけどね。

 

初心者でも2時間以内で走れるので、集中力が途切れない範囲で一定ペースを学ぶのに最適だし、なによりそうすることで自分の実力がわかる。そうすると無暗に無酸素領域で走るようなこともしなくなって、逆に無酸素に入れない事の大切さもわかると思うんですが。

ロードバイクの走力とは?

どうも、おっさんです。

 

走力の違いがものすごく分かりやすい動画があったので紹介します。

www.youtube.com

富士ヒルクライムでシルバー獲得ゴールド狙いの方(以降シルバー)と、ブロンズ獲得の方(以降ブロンズ)、そしてレースには出ずにイベントライド等に参加している方(以降凡人)が、愛知県の雨沢峠を上ったらどの程度の違いがあるかという動画です。(凡人というのは、この方本人が「凡人」と言っているのであしからず笑)

 

雨沢峠のプロフィールはSTRAVAで見ると、距離6.17km、標高差310m、平均勾配5%。

 

各人の体重が正確にわからないのですが(3人共細めの体格なのでそんなに大きい違いはないか?)、タイム換算での計算上のパワーはシルバーの方が280w程度、ブロンズの方が220w程度、凡人の方が160w程度と推測されます。(この峠での平均出力)

 

丁度、それぞれ60w差ぐらいの違いです。

 

で、この動画を見て、走力の差って何?ということなんですが、それは上で書いた通りにパワーの差があるからということです。まぁ、当たり前のことですよね?単純に出せるパワーがそれぞれ違うので、出せるパワーが大きい人ほど速く上れます。

 

あるブログでこう書かれていました。

 

ヒルクライムは持久力がないと後半で力尽きて上りきれない」

 

持久力がなければ前半は他人のペースに付いて行けても、後半で置いて行かれるから…とのことです。

 

前に書いたんですが

nicolarossi.hatenablog.com

この記事の

 

「剛脚だろうが、長く走れるスタミナがなければ意味がない」

 

と似た考え方です。

私は、どうしてこういう考え方になるのかがイマイチ理解できなかったのですが、だんだんとわかってきました。

 

「剛脚だろうが、長く走れるスタミナがなければ意味がない」と言っている人は、FTPを例にあげて「長距離を速く走れるスタミナとFTPは(あまり)関係ない」とも言っています。FTPはあくまでも1時間持続可能なパワーなので、長距離の走力とは関係ないと思っているということですね。

 

どうやらこういう考え方の人は、この「1時間持続できるパワーを長時間持続できること」が「スタミナ(持久力)」だと思っているようです。

 

ある意味、考え方としては間違っていないのですが…、その「1時間持続できるパワー」を長時間持続できるようになったとしたら、「1時間持続できるパワー」はさらに上がります(笑)。例えば、FTPが200wの人が5時間200wを維持できるようになったら、FTPは200wより上でないとおかしいです(笑)。(つまり、その場合はFTPが上昇するということ)

 

同じように、ヒルクライムで「持久力がないと後半力尽きる」という考え方の人は、「前半で出しているパワーを後半まで持続できること」が「スタミナ(持久力)」だと思っているということですよね?

 

これも、考え方としては間違いではないですが、前半で出しているパワーを後半も持続できるようになったら全体のパワーが上がったということになります。ということは、単に

 

「パワーが上がった」

 

ということです。

スタミナとか持久力とか個別の問題ではなくて

 

パワー = 走力(脚力) が上がった

 

ということです。

ロードバイクは1分以内の全力疾走ではないので、有酸素運動です。

有酸素運動の運動能力のベースは「心肺能力」です。

筋力も確かに必要ですが、上の動画の3人でムキムキの人いませんよね?

逆に、一番速い人が小さいし、筋肉量で言うと少ないかもしれません。

つまり、

 

走力 = 心肺能力

 

です。

走力の差というのは「心肺能力の差」ということです。

(もちろん、それだけということではないですが)

 

上の動画の3人の「心肺能力の差」はどこから来ているのでしょう?

シルバーの方は基本インターバル中心のローラートレーニングです。

ブロンズの方は通勤と近場のヒルクライムに頻繁に行っています。

凡人の方はほぼトレーニング無しです。

 

単に、速い人ほどトレーニングの内容が濃いだけです。

 

凡人の方は自分のことを「凡人」と言っていますが、それは何もしていないから「凡人」なだけであってちゃんとトレーニングすれば速く走れるようになります。体格だけで見れば3人の中で一番大きいので有利でもあります。「やるかやらないか」の差だけなんですね。

 

ただ、自分のことを「凡人」と言っていることからわかるように、「凡人だからトレーニングしてもなぁ…」という考えがあると思います。それは「しんどい」トレーニングをしたくないという考えから来ているんですね。レースに出たいわけでもないということもあるし。

 

FTPは長距離の走力に関係ない」という考え方も同じですね。FTPは1時間全力のパワーなので、そういう数値を上げてもロングライド中心の自分には関係ない(と思いたい)ということです。つまり、FTPを上げるようなトレーニングは自分には関係ないのでしなくていい(したくない)ということの裏返しです。自分はスタミナを上げればいいんだという考えで辿り着くのはどこなんでしょう?LSDとかですかね?でも、それじゃあ走力はなかなか上がらないんですよね。

 

「走力=心肺能力」なので心肺能力を上げるには高強度のトレーニングしかありません。

実際、理論立てられているトレーニング法はほとんどそれです。

楽しいか楽しくないかを決めるのは誰か?

どうも、おっさんです。

 

前回の記事

nicolarossi.hatenablog.com

で書きましたが、「他人の意識の影響を受けやすくなると、自分が何をしたいのかわからなくなる」という部分をもう少し説明したいと思います。

 

「楽しいか楽しくないかを決めるのは誰か?」

 

と聞かれて、何と答えますか?

大体の人は「自分」と答えるでしょう。

いや、そんなの当たり前じゃんと思う人が大勢だと思います。

 

私の記事をよく読んでいただいている方だと、「脳が勝手に決めている」となるかもしれませんが、それもある意味正解です。

 

一応、脳が勝手に決めているという私の考えのまとめはこちら

nicolarossi.hatenablog.com

で見て下さい。

 

前回の記事のブログの方は、私が見た限りでは「自分はロードバイクでは格好よく走れないから辞めた」ということだと思います。ということは…

 

「格好よく走れないから楽しくない」

 

ってことですよね?

で、その「格好よく」の部分は「抜かれるとショック」ということにかかっているので

 

「抜かれるから楽しくない」

 

ということになります。

これ、前にも書いたんですが、スポーツが「嫌い」な人というのが一定数いて、その理由を辿って行くと「体育が嫌いだった」ということに行き着きます。大人になってからスポーツに目覚めた人が言うには、「運動」自体が嫌いなわけじゃなくて「体育の授業」や「体育の教師」が嫌いだったと気付いたということです。

 

それは「承認欲求が満たされない場所や場面が嫌い」ということですよ、とも書きました。

 

ここからもわかるように、初めに「承認欲求」で判断してしまっているので、「運動」自体が「楽しいか楽しくないか」の判断ができていないんですね。「承認欲求」は他人に認められるか認められないかという欲求なので

 

「他人に認められないことは楽しくない」

 

という判断になってしまっているということです。

こう考えると、その「楽しくない」の判断は他人に決められていることになります。

 

「抜かれるから楽しくない」も同じことで、抜かれるか抜かれないかという「承認欲求」に執着していると、どこまで行っても「自転車」自体の楽しさは見えてきません。

 

ここまで書くと「あれ?」と思うんじゃないでしょうか?

そう

 

「他人に認められることは楽しい」

 

ということも、「楽しい」の判断を他人に決められているということです。

というより、「他人に認められることは楽しい」ということがあるから「他人に認められないことは楽しくない」となるんですね。表裏一体です。

 

ただ、これこそが人を活動状態に置いておく為の「欲求システム」ですから、これ自体が悪いことではないということは今までも書いてきた通りです。

 

それがプラスに働くかマイナスに働くかの話なだけですね。

 

例えば、(大きく)プラスに働く人がどうなるかというと

cyclist.sanspo.com

こうなります(笑)。

これは極端な例ですが。

 

ここまで行かなくても、同じ富士ヒルだと「ブロンズ狙う」とか、そういう承認される目標をたててがんばることで走力がつくわけで、そのことが楽しかったりするんですね。他に、ブルベとかも同じで指定距離を指定されたとおりに走って承認をもらう。それが「楽しい」。

 

マイナスに働く人は、何もしていない状態の自分を見て「承認されないから楽しくない」としているわけです。(おそらく、本人はそこに気付かないんですが)

 

プラスの人はとりあえずそのままで良いとして、マイナスの人はどうすれば良いんでしょう?前回のブログの方のようにその場から退避するのは一つの手ですよね。

 

「楽しいか楽しくないかを決めるのは誰か?」

 

で、「自分で決める」という方法があります。

その「行為」自体を、楽しいか楽しくないか判断することです。

 

例えば、私の場合ですがフレームの素材でクロモリとカーボンを比較すれば、クロモリの方が「楽しい」と感じます。これはフレーム自体の反応が「楽しい」ということで、「自転車を走らせる」という行為に関しては、クロモリでもカーボンでも同じように「楽しい」です。そういう、多少のフィーリングの違いはありますが、「自転車を走らせるのが楽しい」という行為自体に違いはありません。

 

たまに、家にあるシティサイクルに乗りますが、その時も「どうやって走らせたら楽しいか?」と考えながら走ってます(笑)。クルマに乗る時も同じで、加速と減速のアクセルワークやブレーキング、交差点やカーブでのハンドルさばき、どうすればスムーズに気持ちよく楽しく運転できるかを(もちろん他車との関係も)考えて乗っています。

 

簡単に言うと、楽しさに「承認欲求」を介入させないということです。

単純にその行為をやってみて「楽しいかどうか?」だけ判断することです。

 

そうすると、「自分で決める」ことができます。

 

行為自体を「楽しい」と感じているのであれば、それによって起こった結果で承認されようがされまいが、それはまた違う物事として受け止めることができますし、究極は「承認される」必要がなくなります。

 

だって、自分が楽しくてやってる行為ですから、それが他人と比較して「上か下か」なんて関係ないでしょう?という結論になっちゃうからですね。

ロードバイクを辞める人の心理

どうも、おっさんです。

 

今回はこちらのブログ記事を読んで思ったことを書いてみます。

jitensha.net

ロードバイクに乗っていたけれど、なんやかんやで小径車に乗るようになったよという方のブログ記事です。読んでもらえばわかりますが、簡潔に言うと…

 

「自分に向いてたのはロードバイクじゃなくて小径車だった」

 

という記事です。

私が以前から言っている通りに、「速く走らない(速く走る必要がない)人はロードバイクが苦痛になりますよ」という部分を心理的に反映したような記事なんですが、ここから見え隠れする本心を私の考えから推測していきます。

 

 

ロードバイクでサイクリングは楽しめない

 

まず、この方は「サイクリングを楽しみたい」ということらしいです。サイクリングの定義ってなに?って思ってしまいますが、この記事の後で出てくる理由によると「風景を楽しむ余裕」ということでした。

 

そういうサイクリングを楽しみたいんだけれど、ピチピチのサイクルウエアを着ないといけないし、スピードもある程度出していないといけない、というような「同調圧力」を感じてしまうので「サイクリングが楽しめない」ということですね。

 

いきなりツッコミたいんですが(笑)、別にロードバイクでもカジュアルな服装で乗ってもいいし、ゆっくり走ってもいい。誰かに言われたのならまだしも一人で走ってたら気にする必要ないのでは?…と思うのですが、それは「同調圧力」なので仕方がないか。

 

よく、ピチピチのサイクルウエアが「恥ずかしい」とかの理由で躊躇している人がいるんですが、私はそういうことを思ったことがありません。今の時期だと、私は半袖のサイクルジャージにアームカバーとサイクルタイツで走っています。これは、みんながそうしてるから着ているとかいう「同調圧力」的なことではなく、単にサイクルウェアで走るのが…

 

「楽」

 

だからです。

よく言われる「空気抵抗軽減」を筆頭に、動きやすさや速乾性等ロードバイクを走らせるという部分で「邪魔にならない」性能があるからです。ブログ記事内の写真でのこの方の服装は「サイクリング」での服装なのでしょうが、私はこういう服装ではロードバイクに乗りません。それは単純に邪魔で「動きにくい」から。私がこの方の言うサイクリングに行くならこういう服装で行くかもしれませんが。

 

ある程度のスピードを出していないといけないも同じで、こういう「同調圧力」というような理由が出てくる時点で、この方はロードバイクの機能性やサイクルウエアの機能性を理解できていないんですね。それはどうしてかというと…

 

「速く走らない(速く走る必要がない)」

 

からです。

もちろん、ロードバイクはレースで速く走る機材ということや、サイクルウエアの表面上の機能性は言葉では理解しているのでしょうが、自分が「体感」した理解ではないのでわからないのです。だから、「同調圧力」という外圧を感じているのでしょう。自分が体感で理解して「必要か必要ではないか」が判断できていないのです。他人の意見に翻弄されているわけですね。

 

 

ロードバイクはストレスが溜まる

 

車道で自動車に邪魔者扱いされるという部分は私も同感です(笑)。

でも、私は田舎で走っているので私自身はあんまりストレスに思ってないですね。

(交通量の少ない道を選べば、ほぼ解決できます)

都会は大変だと思うのですが、近年は環境も整ってきているみたいで改善されているとか?

 

「抜かれちゃいけないという強迫観念」って言葉にすると強烈ですね(笑)。

「同じロードに抜かれると結構ショック」とか。

 

私は、この方のブログ記事を読んで、ここの部分がキモなんじゃないかな~と思いました。

 

 

ロードバイク熱が冷める

 

30万円以上のロードに10万円のホイールを履かせて「満足」していたけれど、そんな中、街乗り用のクロスバイクで走ってみると開放感があり衝撃を受けた。ロードバイクではサイコンと目の前の道しか見てなかったので、

 

「景色を楽しむ余裕がなかったんだ!」

「本当の自分はここなんだ!」

 

途端に速く走ることや軽量化がアホらしくなって冷めたと。

 

申し訳ないんですけど、私はこれは「後付け」の理由だと思います。

というのも、この方がこの記事で言っている「飽きた」が本元の理由だからです。

もちろん、こう感じたのは事実なのかもしれませんが。

 

 

・私が小径車に乗る理由

 

「小径車なら抜かれても気にならない」という理由を見ても、この方の「抜かれたくない」ということへの執着がわかります。上で書いたように、この「抜かれるのがイヤ」というのがキモですね。

 

あと、ロードバイクは歩道を走ると格好がつかないので危険なところでも無理して車道を走ってしまうということですが、私はこんなこと思ったことがありませんでした。前に話しましたが、交通量の多い道を通って行くヒルクライムへは躊躇なく歩道を徐行して行きます。それも、最近はそこまでして行くようなヒルクライムでもないので行かなくなりました(笑)。

 

簡単にまとめると、小径車ではそういうロードバイクで感じていたストレスから解放されたということだそうです。

 

 

・初心者に小径車を勧めない

 

小径車はロードと比べるとスピードではかなわないので、「劣等感」を感じてしまい小径車を買ったことを後悔するからということ。確かに、スピードを求めている人だとそうかもしれませんね。

 

この部分を見て思ったのが、やっぱりこの方は「スピード」を求めているのでは?

と、感じました。

 

自分が「スピード」を求めているからこそ、小径車だとスピード面で劣るので満足できないという結論になってしまうのでは?初めからスピードを求めていない人なら初心者でも不満に思うことないような気がしますが?

 

この方は、「ロードバイクに乗ったからこそ小径車の魅力がわかるんだ!」って言っているんですが、この記事を見ていると…

 

ロードバイクでは速く走れなくて格好つかないから辞めました」

 

って言っているだけなんじゃ…って思ってしまいました。

「外面」や「世間体」のような「他人からの目」を特に気にしているなと。

 

ロードバイクに飽きてしまったのも、こういう考え方が一因のように思います。

 

 

 

ここから私の考察

・抜かれるとショック?

 

私がこの記事でのキモと言っている「抜かれたくない」「抜かれるのがショック」という部分ですが、どうして抜かれるとショックを受けるのでしょうか?それは…

 

抜かれる=抜いた相手より「下」

 

つまり、「劣っている」と感じるからです。

確かに、速いか遅いかで言えば抜かれた方が「遅い」です。

 

でもですね、速い人には速い理由があって「速い」わけで、遅い人は速い理由がないから「遅い」んですよね?簡単に言えば「走力」の違いがあるという事実なだけです。

 

感情抜きで、その事実だけを見てみると「当たり前」の話なだけなんですよね。

 

で、この事実を突きつけられた人はこの後は大きく二つに分かれます。

一つはこの方のように「その場から退避」してこれ以上ショックを受けないようにします。

もう一つは、「なにクソ」と今度は抜かれないように速くなろうとします。

大体この2パターンですよね。

どっちに行くかは人それぞれです。

 

結果的にこの方は退避したことによって「自分にはロードバイクは向いていなかったんだ」ということになりましたが、それはこの方の「脳」が過去の経験からそう判断しただけで、本当にロードバイクに向いていなかったのかどうかはわかりません。何故なら…

 

速く走ろうとしていない

 

からです。

これも、この方の「脳」がそう判断しただけなのですが、私が指摘している通りにこの記事では「スピード」への執着が見て取れるので、速く走ることへの「憧れ」はあったものの、なんらかの「脳」の判断理由で「速く走ろう」という方向へ向かなかったと言えます。

 

あ、別に速く走らなかったのが「悪い」ということではなくて事実確認です。

 

自転車ってこの記事で出てきた「ロードバイク」「クロスバイク」「小径車」の他にも、「グラベルロード」や一般的な「シティサイクル」その他いろいろな種類の自転車があります。私が違和感を感じるのが、そこに優劣をつけている点ですかね。

 

この方は「ロードバイククロスバイク>小径車」という序列で見ているようです。

これは「出せるスピード」という面で見ているからですね。

 

小径車だと抜かれても気にならないのは、スピード性能で劣っているから「自分の実力が劣っているわけではない」という心理作用が働くからです。

 

私はこれらの種類の自転車を「用途の違い」でしか見ていません。

「用途の違い」があるから「出せるスピード」も違ってくるということです。

 

 

・どうして飽きるのか?

 

飽きるのは「脳内での優先順位が下がった」からです。

私は今のところロードバイクには飽きてません(笑)。

優先順位が高いままです。

 

私の理由は「自転車を走らせるのが楽しい」からですが、この方はそうじゃなかったわけです。

 

これは一般的なロードバイクという趣味への取り組み方を見てみると、「飽きるのも仕方がないかも」と思うところが多々あります。それは、簡潔に言うと

 

ロードバイク本来の使い方をしていないから

 

です。

それでも飽きない人もいますが、この方も記事内で書いている通りにレース志向の人の方が続きやすいという部分からもわかりますよね。

 

サイクリングって一般的な見方で言うと「レジャー」です。

この方の言うサイクリングも「レジャー」なんですよね。

で、ロードバイクを趣味にしようと考えている人の多くも「レジャー」。

 

でも、ロードバイクは「スポーツ」です。

 

「レジャー」で始めた人も大体どこかで「スポーツ」だと気付きます。

何故なら、自分が思っているように走れないからです(笑)。

しかも、前傾姿勢で手や首や背中やお尻が痛くなります。

現実を知ると「レジャー」だと思っていた大半の人は辞めていきます。

 

別に、ロードバイク本来の「スポーツ」として乗らないといけないというわけではなくて、「スポーツ」として取り組んだ方が続きやすいという事実です。続いている人が比較して少なくなるのは、単に「スポーツ」として取り組む人が少ないからとも言えますね。

 

この方も、単に「スポーツ」としてのロードバイクに元から興味がなかったということ。

 

30万円のカーボンロードに10万円のホイールを履かせて「満足」していたとか、自転車の種類によるスピード差の優劣とか、抜かれるとショックを受けてストレスが溜まるけど別に速くなりたいわけではないとか、そういう外面のことにしか興味がなかっただけなんですよね。

 

で、ロードバイクでは自分の欲求(承認欲求)が満たされないことを察知すると「私は悟ったから速く走ることは卒業して、景色を楽しみます」「これが自転車本来の楽しみ方なんです」となっちゃうわけです。

 

私は、ロードバイクで速く走ることと同時に、小径車でもクロスバイクでもロードバイクでも何でもいいですが、景色を楽しむ「サイクリング」も全然両立できると思うんですけどね。速く走ることの楽しさか、ゆっくり景色を見ながら走る楽しさか、どっちか選ばないといけないとかないですし。

 

まぁ、これは「防衛機制」という不安を軽減するための人間の心理システムなので、無意識のままにこうなってしまうから仕方のないことなんですが。

 

 

・どうすればよかったのか?

 

これは、本人にしかわかりません(笑)。

というのも、辞めるのも続けるのもその人(の脳)の過去の経験次第ですから。

 

ただ、第三者がこれを見て考えてほしいのは、脳は勝手に判断するということです。

過去の経験に照らし合わせて。

 

なので、自分の考えが(脳の勝手な判断ですが笑)起こった時に、その考えがどこから来たのか自分でもう一度考察してみることです。そうするとわかることもありますよ。

 

この方の思考は、他人の意識の影響を受けやすいんでしょうね。

同調圧力」を感じやすい人はその傾向があると思います。

 

他人の意識といってもテレパシーを受けているとかじゃなくて(笑)、他人から見た自分を意識しすぎているということです。これが強いと、他人の意見等に影響を受けやすくなって自分が何をしたいのかわからなくなってきます。自分で「こうしたい」と思っていることが実は他人の意見だったということが起こるんですね。

7月終わり

梅雨明けて暑い(当たり前)。

どうも、おっさんです。

 

今年の梅雨は間の晴れ間が少なかったですね。

最長で9日間走れませんでした。

もちろん、走力ダウン。

 

あまりにも走れないので、ついにローラー台を買ってしまいました(笑)。

まだ、3回ぐらいしか乗ってませんが…。

(そのうち記事にします)

 

今月の走行距離は435km(ローラー込み)。

ローラー台の距離は負荷次第なのであまりあてになりません(笑)。

 

今までは、走力が下がると心拍が200拍ぐらいまですぐに上がるようになっていたのですが、今は190拍ぐらいまでしか上がらないようになっています。心肺能力のモードが変わっているのかもしれません。

 

その所為か、180拍ぐらいでもう苦しくなってきます(笑)。

まったく思い通りに走れません。

 

他の人のブログとか見ていると、「1ヵ月走らなくても変わらない」って言ってる人がいますが…

 

そんなことないだろ!

 

と強く言いたいです(笑)。

それどころか1週間走らなくても変わります。

いや、3日走らないと変わりますね。

 

また、ぼちぼちと走力を上げて行く必要がありますが、こう暑いとなかなか難しい。

まぁ、ローラー台も活用して試行錯誤してみます。

6月終わり

いつになったら走れるんだ…。

どうも、おっさんです。

 

今月の走行距離は556km。

 

先日、いつものコースのタイム更新したのですが、更新したというかほぼ同じタイムで走っただけ(笑)。まぁ、一応更新なのであげときます。

 

まず、ガーミン先生の40kmTTタイム。

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前回が1時間16分00秒だったので2秒更新(笑)。

トータルでは、

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1時間22分18秒でした。

これも前回が1時間22分24秒なので6秒更新。

まぁ、誤差ですね。

信号のある公道なので、ちょっとしたことで逆転します。

ちょっと下がってた調子が戻って来たと言えますが…。

 

それより、VO2Maxが…

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「61」まで上がってます(笑)。

自分でも「なんで?」って感じなんですが、確かに心拍は閾値に張り付かなくなっているなと。

心肺能力が上がってきている実感はあるので順当なんでしょうね。

 

VO2Max 1年間の推移

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1年前は「56」で10月と11月は「57」に上がった後、昨年末から年始の乗れていない時期は「55」まで下がっていましたが、2月は「56」、3月「57」、4月「58(推定)」、5月「59」、今月前半「60」、そして今月後半が「61」。

 

走行距離 1年間の推移

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走っている人から見たら全然距離稼いでいませんが(笑)、3月からはコンスタントに500km以上走っています。天候に恵まれていたので、走ったら1日休んでまた走る。これを高強度で繰り返していたのが良かったのでしょう。逆にそれが出来なくなると、良くて横這い、酷いと走力低下と。

 

パワーなんですが、体感的には少し上がっているかな?という感じです。私はFTP計測してないし、そもそもパワートレーニングする気がないので(笑)、走って出た数値を見て「ま、こんなもんか」と思うだけです(笑)。(もちろんパワートレーニングした方が効率よく速くなるのはわかります)

 

一応、NP(標準化パワー)が上がっていけばいいだろう程度の考えはあって、実際、パワーメーターを導入してから(慣れた後)は最大NPが10w程度は上がっています(最大NP190wぐらいに)。

 

私は「自転車を走らせるのが楽しい」ということで走っているので、基本的には走って楽しかったらそれでいいわけです。パワーや他のデータはその走った自分の状態を数値化しているだけなので、極端な話、パワーやタイムが出ていなくても「楽しい」と思ったらそれでいいのです。まぁ、実際は「楽しい」と思って走ったらパワーもそれなりに出ているし、タイムもそれなりに出ているわけですが(笑)。

 

といっても、この梅雨時期。

現時点で一週間ぐらい走ってません(笑)。

やっぱりローラー台欲しいなぁとか思っています。