おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

ロードバイクを辞める人の心理

どうも、おっさんです。

 

今回はこちらのブログ記事を読んで思ったことを書いてみます。

jitensha.net

ロードバイクに乗っていたけれど、なんやかんやで小径車に乗るようになったよという方のブログ記事です。読んでもらえばわかりますが、簡潔に言うと…

 

「自分に向いてたのはロードバイクじゃなくて小径車だった」

 

という記事です。

私が以前から言っている通りに、「速く走らない(速く走る必要がない)人はロードバイクが苦痛になりますよ」という部分を心理的に反映したような記事なんですが、ここから見え隠れする本心を私の考えから推測していきます。

 

 

ロードバイクでサイクリングは楽しめない

 

まず、この方は「サイクリングを楽しみたい」ということらしいです。サイクリングの定義ってなに?って思ってしまいますが、この記事の後で出てくる理由によると「風景を楽しむ余裕」ということでした。

 

そういうサイクリングを楽しみたいんだけれど、ピチピチのサイクルウエアを着ないといけないし、スピードもある程度出していないといけない、というような「同調圧力」を感じてしまうので「サイクリングが楽しめない」ということですね。

 

いきなりツッコミたいんですが(笑)、別にロードバイクでもカジュアルな服装で乗ってもいいし、ゆっくり走ってもいい。誰かに言われたのならまだしも一人で走ってたら気にする必要ないのでは?…と思うのですが、それは「同調圧力」なので仕方がないか。

 

よく、ピチピチのサイクルウエアが「恥ずかしい」とかの理由で躊躇している人がいるんですが、私はそういうことを思ったことがありません。今の時期だと、私は半袖のサイクルジャージにアームカバーとサイクルタイツで走っています。これは、みんながそうしてるから着ているとかいう「同調圧力」的なことではなく、単にサイクルウェアで走るのが…

 

「楽」

 

だからです。

よく言われる「空気抵抗軽減」を筆頭に、動きやすさや速乾性等ロードバイクを走らせるという部分で「邪魔にならない」性能があるからです。ブログ記事内の写真でのこの方の服装は「サイクリング」での服装なのでしょうが、私はこういう服装ではロードバイクに乗りません。それは単純に邪魔で「動きにくい」から。私がこの方の言うサイクリングに行くならこういう服装で行くかもしれませんが。

 

ある程度のスピードを出していないといけないも同じで、こういう「同調圧力」というような理由が出てくる時点で、この方はロードバイクの機能性やサイクルウエアの機能性を理解できていないんですね。それはどうしてかというと…

 

「速く走らない(速く走る必要がない)」

 

からです。

もちろん、ロードバイクはレースで速く走る機材ということや、サイクルウエアの表面上の機能性は言葉では理解しているのでしょうが、自分が「体感」した理解ではないのでわからないのです。だから、「同調圧力」という外圧を感じているのでしょう。自分が体感で理解して「必要か必要ではないか」が判断できていないのです。他人の意見に翻弄されているわけですね。

 

 

ロードバイクはストレスが溜まる

 

車道で自動車に邪魔者扱いされるという部分は私も同感です(笑)。

でも、私は田舎で走っているので私自身はあんまりストレスに思ってないですね。

(交通量の少ない道を選べば、ほぼ解決できます)

都会は大変だと思うのですが、近年は環境も整ってきているみたいで改善されているとか?

 

「抜かれちゃいけないという強迫観念」って言葉にすると強烈ですね(笑)。

「同じロードに抜かれると結構ショック」とか。

 

私は、この方のブログ記事を読んで、ここの部分がキモなんじゃないかな~と思いました。

 

 

ロードバイク熱が冷める

 

30万円以上のロードに10万円のホイールを履かせて「満足」していたけれど、そんな中、街乗り用のクロスバイクで走ってみると開放感があり衝撃を受けた。ロードバイクではサイコンと目の前の道しか見てなかったので、

 

「景色を楽しむ余裕がなかったんだ!」

「本当の自分はここなんだ!」

 

途端に速く走ることや軽量化がアホらしくなって冷めたと。

 

申し訳ないんですけど、私はこれは「後付け」の理由だと思います。

というのも、この方がこの記事で言っている「飽きた」が本元の理由だからです。

もちろん、こう感じたのは事実なのかもしれませんが。

 

 

・私が小径車に乗る理由

 

「小径車なら抜かれても気にならない」という理由を見ても、この方の「抜かれたくない」ということへの執着がわかります。上で書いたように、この「抜かれるのがイヤ」というのがキモですね。

 

あと、ロードバイクは歩道を走ると格好がつかないので危険なところでも無理して車道を走ってしまうということですが、私はこんなこと思ったことがありませんでした。前に話しましたが、交通量の多い道を通って行くヒルクライムへは躊躇なく歩道を徐行して行きます。それも、最近はそこまでして行くようなヒルクライムでもないので行かなくなりました(笑)。

 

簡単にまとめると、小径車ではそういうロードバイクで感じていたストレスから解放されたということだそうです。

 

 

・初心者に小径車を勧めない

 

小径車はロードと比べるとスピードではかなわないので、「劣等感」を感じてしまい小径車を買ったことを後悔するからということ。確かに、スピードを求めている人だとそうかもしれませんね。

 

この部分を見て思ったのが、やっぱりこの方は「スピード」を求めているのでは?

と、感じました。

 

自分が「スピード」を求めているからこそ、小径車だとスピード面で劣るので満足できないという結論になってしまうのでは?初めからスピードを求めていない人なら初心者でも不満に思うことないような気がしますが?

 

この方は、「ロードバイクに乗ったからこそ小径車の魅力がわかるんだ!」って言っているんですが、この記事を見ていると…

 

ロードバイクでは速く走れなくて格好つかないから辞めました」

 

って言っているだけなんじゃ…って思ってしまいました。

「外面」や「世間体」のような「他人からの目」を特に気にしているなと。

 

ロードバイクに飽きてしまったのも、こういう考え方が一因のように思います。

 

 

 

ここから私の考察

・抜かれるとショック?

 

私がこの記事でのキモと言っている「抜かれたくない」「抜かれるのがショック」という部分ですが、どうして抜かれるとショックを受けるのでしょうか?それは…

 

抜かれる=抜いた相手より「下」

 

つまり、「劣っている」と感じるからです。

確かに、速いか遅いかで言えば抜かれた方が「遅い」です。

 

でもですね、速い人には速い理由があって「速い」わけで、遅い人は速い理由がないから「遅い」んですよね?簡単に言えば「走力」の違いがあるという事実なだけです。

 

感情抜きで、その事実だけを見てみると「当たり前」の話なだけなんですよね。

 

で、この事実を突きつけられた人はこの後は大きく二つに分かれます。

一つはこの方のように「その場から退避」してこれ以上ショックを受けないようにします。

もう一つは、「なにクソ」と今度は抜かれないように速くなろうとします。

大体この2パターンですよね。

どっちに行くかは人それぞれです。

 

結果的にこの方は退避したことによって「自分にはロードバイクは向いていなかったんだ」ということになりましたが、それはこの方の「脳」が過去の経験からそう判断しただけで、本当にロードバイクに向いていなかったのかどうかはわかりません。何故なら…

 

速く走ろうとしていない

 

からです。

これも、この方の「脳」がそう判断しただけなのですが、私が指摘している通りにこの記事では「スピード」への執着が見て取れるので、速く走ることへの「憧れ」はあったものの、なんらかの「脳」の判断理由で「速く走ろう」という方向へ向かなかったと言えます。

 

あ、別に速く走らなかったのが「悪い」ということではなくて事実確認です。

 

自転車ってこの記事で出てきた「ロードバイク」「クロスバイク」「小径車」の他にも、「グラベルロード」や一般的な「シティサイクル」その他いろいろな種類の自転車があります。私が違和感を感じるのが、そこに優劣をつけている点ですかね。

 

この方は「ロードバイククロスバイク>小径車」という序列で見ているようです。

これは「出せるスピード」という面で見ているからですね。

 

小径車だと抜かれても気にならないのは、スピード性能で劣っているから「自分の実力が劣っているわけではない」という心理作用が働くからです。

 

私はこれらの種類の自転車を「用途の違い」でしか見ていません。

「用途の違い」があるから「出せるスピード」も違ってくるということです。

 

 

・どうして飽きるのか?

 

飽きるのは「脳内での優先順位が下がった」からです。

私は今のところロードバイクには飽きてません(笑)。

優先順位が高いままです。

 

私の理由は「自転車を走らせるのが楽しい」からですが、この方はそうじゃなかったわけです。

 

これは一般的なロードバイクという趣味への取り組み方を見てみると、「飽きるのも仕方がないかも」と思うところが多々あります。それは、簡潔に言うと

 

ロードバイク本来の使い方をしていないから

 

です。

それでも飽きない人もいますが、この方も記事内で書いている通りにレース志向の人の方が続きやすいという部分からもわかりますよね。

 

サイクリングって一般的な見方で言うと「レジャー」です。

この方の言うサイクリングも「レジャー」なんですよね。

で、ロードバイクを趣味にしようと考えている人の多くも「レジャー」。

 

でも、ロードバイクは「スポーツ」です。

 

「レジャー」で始めた人も大体どこかで「スポーツ」だと気付きます。

何故なら、自分が思っているように走れないからです(笑)。

しかも、前傾姿勢で手や首や背中やお尻が痛くなります。

現実を知ると「レジャー」だと思っていた大半の人は辞めていきます。

 

別に、ロードバイク本来の「スポーツ」として乗らないといけないというわけではなくて、「スポーツ」として取り組んだ方が続きやすいという事実です。続いている人が比較して少なくなるのは、単に「スポーツ」として取り組む人が少ないからとも言えますね。

 

この方も、単に「スポーツ」としてのロードバイクに元から興味がなかったということ。

 

30万円のカーボンロードに10万円のホイールを履かせて「満足」していたとか、自転車の種類によるスピード差の優劣とか、抜かれるとショックを受けてストレスが溜まるけど別に速くなりたいわけではないとか、そういう外面のことにしか興味がなかっただけなんですよね。

 

で、ロードバイクでは自分の欲求(承認欲求)が満たされないことを察知すると「私は悟ったから速く走ることは卒業して、景色を楽しみます」「これが自転車本来の楽しみ方なんです」となっちゃうわけです。

 

私は、ロードバイクで速く走ることと同時に、小径車でもクロスバイクでもロードバイクでも何でもいいですが、景色を楽しむ「サイクリング」も全然両立できると思うんですけどね。速く走ることの楽しさか、ゆっくり景色を見ながら走る楽しさか、どっちか選ばないといけないとかないですし。

 

まぁ、これは「防衛機制」という不安を軽減するための人間の心理システムなので、無意識のままにこうなってしまうから仕方のないことなんですが。

 

 

・どうすればよかったのか?

 

これは、本人にしかわかりません(笑)。

というのも、辞めるのも続けるのもその人(の脳)の過去の経験次第ですから。

 

ただ、第三者がこれを見て考えてほしいのは、脳は勝手に判断するということです。

過去の経験に照らし合わせて。

 

なので、自分の考えが(脳の勝手な判断ですが笑)起こった時に、その考えがどこから来たのか自分でもう一度考察してみることです。そうするとわかることもありますよ。

 

この方の思考は、他人の意識の影響を受けやすいんでしょうね。

同調圧力」を感じやすい人はその傾向があると思います。

 

他人の意識といってもテレパシーを受けているとかじゃなくて(笑)、他人から見た自分を意識しすぎているということです。これが強いと、他人の意見等に影響を受けやすくなって自分が何をしたいのかわからなくなってきます。自分で「こうしたい」と思っていることが実は他人の意見だったということが起こるんですね。