最近、ブログ記事を書いていると、詳しく説明したいんだけどやたらと長くなっちゃうからカットみたいなことがよくあって、そうなると説明不足からの真意が伝わらないかな?という部分も出てきているので、私がベースにしている考え方をここに置いておくことにします。
あくまでも、私の私的な考え方なので、これが「正解」というわけではありません。
(私は、専門家でも学者でもないので書いてあることが正しいということでもないです)
【人間は欲求に動かされている】
「マズローの欲求5段階説」によると
第5段階 自己実現
第4段階 承認
第3段階 社会的
第2段階 安全
第1段階 生理的
主に、この5つの欲求があるとされています。
そもそも、「欲求」とは何なのか?
私は、人間(生物)という個体の原動力となるものと考えます。
全ての欲求は人間(生物)が「生きる(+繁殖する)」為に必要なものです。
一番根源的な部分で言うと「食欲」。
これは、人間が「活動」する為には絶対に必要です。
お腹が空いている状態では「活動」に支障が出てきます。
何故かというと、身体を動かす為の「エネルギー」がなくなってくるからですね。
「お腹が空く」と言いますが、これは「概念」です。
実際は…
エネルギーがなくなってきたから補給して!
と「脳」が指令を出している状態ですね。
この時に、私たちが感じるのが「空腹感」です。(これも概念)
「空腹感」を感じて、食事をすると「満腹感」を感じます。
この時にどういう状況になっているのかというと
危険>>>>>>>>>>安全
「危険」な状態から脱して「安全」な状態に移行したということです。
(欲求第2段階の「安全」は対外的な安全で、こっちは体内的な安全です)
エネルギーがなくなると活動が出来なくなり、「生きて繁殖する」という使命が果たせなくなるので「危険」を感じ、それによってエネルギーを補充できたら活動が継続できるようになるので「生きて繁殖する」という使命を果たすことが出来る方向へ向かうので、「安全」と感じます。
つまり、「欲求」というモノは
人間(生物)を「活動状態」(種の保存)に置いておく為に必要ということです。
「食欲」に限らず、全ての「欲求」はこういうモノということになります。
やっかいな「承認欲求」も同じです。
「承認欲求」は集団(社会)の中で「承認されたい(一目置かれたい)」という欲求ですが、それは社会(集団)の中で「承認される(一目置かれる)」状態になれば、その社会(集団)の中で「必要な存在」になって「生きやすくなる」からです。
その社会(集団)に「必要」と思われるということですね。
危険な状態にあっても守られる存在になると言えます。
そして、「必要」と思われるということは、繁殖の機会も増える。
つまり、
未承認(危険)>>>>>>>>>>承認(安全)
と、承認(安全)の方へ向かいたいという欲求です。
このように、人間(生物)の思考や行動は常に「生きて繁殖する」という方向へ向かう為に、「欲求」によって動かされているということになります。
欲求を満たすと「快」と感じ、満たされないと「不快」と感じます。
不快(危険)>>>>>>>>>>快(安全)
これが、人間(生物)の思考の根源になっています。
なので、思考は自然と「快」へ向かうようになっているのです。
【実体験と伝聞】
人間は基本的には「体験」したことに対して、これは「快」なのか?「不快」なのか?を判断して、なるべく「不快」にならないように「快」へ向かうようになっています。これが「欲求」の基本メカニズムなのですが、実際に「体験」したこと以外でもこの「快」「不快」を判断する(判断したと思い込む)ことができるようになっています。それは
「伝聞」
です。
人間は言葉や文字を使うので、他者が体験したことを伝え聞くことが可能だからです。
なので、実体験ではない「伝聞」を学習することで「快」「不快」を判断する(判断したと思い込む)ことが可能になるんですね。これは、今現在の伝聞だけではなく、それこそ人類が現れて今まで積み重ねてきたことのほとんどが「伝聞」だということにもなります。(これが文明とも言えるかも)
実体験ではないので本当は自分で感じた「快」「不快」ではないのですが、これも人間の思考では学習情報として以降の判断材料に使われるようになります。
実体験と伝聞を組み合わせて、より「安全」になろうとするわけですね。
【個体と群体】
承認欲求によって集団に認められた状態が「安全」ということになるので、その集団自体が「消滅」してしまったら「危険」になってしまいます。なので、人間は「個体」で生きているというよりは「群体」で生きていると言っていいかもしれません。繁殖にも有利になってきますしね。
なので、「個体」の安全は当然重要なのですが、「群体」(社会)の安全も同じように重要になってくるわけです。
つまり、個人の「思考」であっても社会全体の「思考」に影響されるし、またその反対もあるわけで自分と他者が常に相互の「影響関係」にあるということになります。総合的に考えると、「全体」で安全(快)な方向へ向かっているということですね。(そういうエネルギーがあるというだけの話)
この話、突き詰めると「宇宙」まで行っちゃうんですが、それはあえて言わないことにします。
(小声で笑)
【人間の思考は無意識に支配されている】
アメリカの学者リベットの実験で「意識的な意思決定」の以前に、無意識的な電気信号である「準備電位」という電気信号が脳内で立ち上がることが確認されています。
参考資料1
wired.jp
自分が「指を動かす」と意思決定する以前に、脳内では電気信号が流れて指へ指令を送っているということです。上の参考資料でも書かれていますが、その「準備電位」は意思決定の前に発せられるが、それが実際に指に届く前に「自分の意思」を介入させることが可能です(ただし、ほんの0.2秒だけ)。
つまり、
脳が指令を出す > 体が指令を実行 > それを(有)意識が認識
(正確には脳指令と実行の間に「意思が起きた」と錯覚する)
これが、人間(生物)の基本的な行動メカニズムということです。
「身体を動かす」という部分だけではなく、人間(生物)の行動(思考)全てです。
(有)意識が介在しなくても「無意識」が人間(生物)を動かしているということですね。
【無意識とは何か?】
無意識に支配されているとしたら「怖い」と思うかもしれないですが、無意識は人間の活動(生きて繁殖する)を効率的に行おうとしています。
例えば、「ボールが飛んできたから”とっさ”に避けた」という場合の「とっさ」は無意識の反応です。条件反射とも言われますが、身体を守る為の行動ということで言えば、この「無意識」の行動が自動的に「安全」へ向かわせたと言えます。これも、体を動かすということだけではなく、人間(生物)の思考でも同じように「安全」へと向かわせる働きが起こります。
無意識下でも危険を感じれば「不快感」が生じて、安全になるように行動します。そして、行動によって安全へ移行すると「快感」(安心感)が生じます。
無意識は、人間(動物)が生まれてきてから脳内に蓄積された「生きる為」の情報を元に行動するんですね。
赤ちゃんは、お腹が空くと「泣いて」知らせると言われています。でも、赤ちゃんて「お腹が空く」なんて概念を知っているはずがないと思いませんか?わかるのは、大人と同じように「エネルギーが少なくなったよ!」という脳の指令を受けて、「空腹感」(これも概念)を感じて「泣く」わけです。その「空腹感」を赤ちゃんはどのように感じているのだろう?と考えると、それは
「恐怖感」(というイメージ)
を感じているのではないかな?と考えます。
この状態が続くと「死ぬ」というイメージです。
だから「泣く」のでは?
(もちろん「空腹が続くと死ぬ」という知識なんてありません)
「お腹が空く」ということを理解できるようになれば、そういう概念で理解することができるわけなんですが、人間(生物)は基本的には欲求をそういうイメージでとらえているだけだといえます。
つまり、無意識下でも「危険」を感じれば「安全」へ向かおうとするということです。
そうしなければ死んでしまう可能性があるからです。
【有意識とは何か?】
無意識に支配されているのに、有意識って何なの?ということ。
大体の人は「有意識」の部分が「自分自身」だと思っていると思います。
が、有意識は無意識を「確認」しているだけと言えるかもしれません。
無意識が下した判断を、有意識で確認する。これだけですかね。
リベットの実験でわかるように無意識を否定することもできます。
今のところ私が考えているのは
無意識 = イメージ領域
有意識 = 言語領域
ということです。
有意識は言語で考える部分かな?と思っています。
無意識から上がって来たイメージを言語に変える部分。
【人間に自由意志があるかないか】
上の参考資料1のリンク記事では、人間の自由意志は(一応)「存在する」ということになっています。ですが、脳の「準備電位」による行動(私の言う無意識)を否定できるとしても、それを否定する有意識の意志はどこから来ているのか?という問題が発生します。
私は、上の【有意識とは何か?】で書いてある通りに、有意識は無意識を確認するだけの部分だと考えているので、その有意識自体も無意識の「上積み」でしかないような気がします。
(無意識から現れているだけの部分)
参考資料2
linguo-inst.com
私の考えと同じようなことが、こちらの記事で詳しく書かれていました。
私も人間に自由意志はないのではないか?と考えます。
【まとめ】
人間は、欲求によって「生きて繁殖する」方向へ向かうようになっています。それは無意識の行動なので、特にそれを考えなくても生まれてきてからの(生きる)学習によって、効率的に行動するように自動プログラミングされているようなものといえます。「危険」を避けて「安全」へ向かうようにできているのです。
危険な状態を「不快」と感じ、逆に安全な状態を「快」と感じるようになっている。
なので、社会生活の中で「快」と感じることは「安全だ」と無意識が感じていて、「不快」と感じることは「危険だ」と無意識が感じているということになります。
参考資料3
staff.aist.go.jp
こちらの記事で、専門的な内容で詳しく書かれているので参考に。
※とりあえずの内容なので、今後追記変更していきます。