おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

天才を殺す凡人

どうも、おっさんです。

 

今回のタイトルの「天才を殺す凡人」というビジネス書?があって、私は知らなかったのですがこの本は結構な反響を呼んだらしく、だいぶ前なんですがとあるところで「自分の役割がわかるすごく良い本」と言われていたんですよね。他のところでも同じようなことが言われていて、「どういう内容なのかな?」という興味はあったんですが、いかんせんこういう書籍って高い(笑)。いや、本って大体こういう価格設定なんですが、その金額を払う価値があるかどうか?という点で見ると、私にとっては微妙な場合が多いんです。

 

どういうことかというと、私が書いている記事

nicolarossi.hatenablog.com

で、考察している通りに、人間の思考や行動というのは全部コレだと私は考えているんですが、大体のビジネス書やそれに準ずる書籍に書かれてあることって、単にコレを分かりやすく解説してあるだけの場合が多いからです。なので、私にとってはあんまり価値がないわけなんですね。

 

上の記事に書いてあることは、私の脳内イメージを文章にしていっているだけなので、全部書ききれているわけではないですし、前に書いた通りに表面上でしか伝わらない場合も多いと思うので、伝わっているかどうかもわからないんですが、一応私の中にこういう考えがあるっていうことです。

 

で、「天才を殺す凡人」を私は買っていないし読んでいないので(笑)、読んでみてどうだったとかの話ではないんですが、ネット上で作者が語っている記事を見つけた(これを読んで「買わなくていいや(よかった)」と思った笑)ので、それを見て解説したいと思います。

 

 

それはこの記事

r25.jp

なんですが…

 

その前に、「天才を殺す凡人」を読んだ人の感想って「凡人の自分が何をしたらいいのか?がわかった」みたいなのが多いと感じていて、それはこの記事でライターが作者に「凡人が天才を殺さないようにするにはどうしたら?」と聞いていることからもわかりますよね?

 

しかし、作者は「それは大きな勘違い」だと言っているわけです。

つまり、読んだ人の感想をみてみた限り「伝わっていない」と私は思うんですね。

 

作者は本の中で人間の才能を「天才」「秀才」「凡人」と3つに分けて解説しています。なので、読んだ人は反射的に「自分はどれなのか?」と自分自身を選別してしまいます。

 

しかし、これもまた作者は「その3つは誰の中にもある」と言っています。この本を読んでいないので(笑)、本の中でこれが書いてあるのかどうか知りませんが、もし書いてあったとしても読者に伝わっていません。私が言っているように、単に文章として起こしただけではやっぱり伝わりにくいということです。この記事のように、ある程度意見のやり取りをしてはじめて「伝わり始める」。

 

ただ、こういう「意見のやり取り」をしなくても読者側次第で伝わる場合もあります。

 

私が言っているように、読者側に作者と同じような「脳内イメージ」がある場合が一つ。この場合は、内容を全部見なくてもだいたい伝わります。

 

もう一つは読者側が読んだ内容を「読んだまま見たまま捉えるだけ」ではなくて、作者が書いていることを「自分なりに考えてみる」ことが出来る場合です。大抵の人はそうしているつもりなんですが、伝わっていないということはできていないということです。

 

この作者とライターのやり取りの記事は「出来過ぎ」なくらい(打合せ済み?笑)よく出来ています。なので、全文読んでみることをおすすめします。

 

 

作者は「3つの才能は誰の中にもある」と言っていますし、その才能は「伸ばすことができる」とも言っています。そして、その才能が伸びるか伸びないかは「経験量の差」であると言っています。

 

ただし、「天才」という才能は途中で「凡人」や「秀才」に殺されてしまうから普通は続けられない。だから、伸ばすことができずに埋もれてしまうと。

 

これを聞くと、読者の感想の「自分の役割がわかった」とか、ライターの「天才を殺さない為には何をすれば?」ということと連動して

 

「天才」を殺している「凡人」や「秀才」って最低だな!

 

みたいな感想になりがちなんですが、よく考えてみて下さい。

作者は「3つの才能は誰の中にもある」と言っていますよ?

 

反射的に何にも考えずに反応すると「天才」を「他人(凡人や秀才)」が潰してしまっていると思っていませんか?

 

いやいや、その3つの才能は自分の中にもあるんですから

 

自分の才能を自分で潰している

 

ということです。

作者自身がこれを言いたかったかどうかはわかりませんが、結論としてはこうなります。

 

これはビジネス書?として書かれていますので、ビジネスとして利益を生み出していく方法論としての視点です。その視点から「天才」を活かすにはどうすればいいかという論点になってしまっているので、「天才」を殺さないようにするには「凡人」がどう振る舞うのがいいのか?と捉えられがちなんですが、本質的には「答えは自分の中にあるよ」っていうことなんですよね。作者もそのようなことを言っているに過ぎません。

 

「天才」が殺されてしまうのは「凡人」の所為だ

 

というならば、「天才」は自分の中の「凡人」に潰されただけという話です。

 

とは言っても、自分のことを「凡人」と思い込んでいる人が、「天才」と思われている人への振る舞いを考えることができる内容にはなっているのかな?(読んでないけど笑)と感想からうかがえるので、ビジネスとして利益を生み出していく行動を促すという面では成功しているとは言えますよね。

 

「自分は会社で浮いている」と感じている人も、他の人の考え方がわかって良かったみたいな感想もあるのですが、私はどっちかというと「凡人」とされている人よりも、「天才」とされている人が自分の立ち位置や他人からの視線や振る舞いをどう捉えるかを考える方が重要なのではないかな?とも思います。

 

まぁ、なんにしてもそれぞれ自分の中の問題なんですが(笑)。

 

 

作者はわかりやすく説明する為に「天才」「秀才」「凡人」と3つに分けて書いたわけなんですが、言っている通りにその3つには境界線はなく誰にでもある才能なので、私は分けて考えると逆に分かりにくくなるんじゃないかな?と思っています。

 

上でも書いた通りに、そういうカテゴライズをすると「自分はどれなんだ?」と反射的に選別してしまいますし、その選別によって自分の可能性を狭めてしまうからです。でも、こういう選別ってみんな好きなんですよね(笑)。これ自体も「共感」なんだと思うんですが。

 

「共感」って相手の考えと同じだと感じることなんですが、同時に自分の考えと相手の考えが同じだと感じることで「安心」する。感情を共有することなので、「仲間」だと感じて安心するわけです。そうすると自動的に「存在を認めてもらえている」という承認欲求も満たされるわけなんですね。元を辿れば社会的欲求や承認欲求という「欲」を満たす行為だと言えます。

 

ただし、「共感」は実際に感情を共有できていなくても「これは共感だ」と感じてしまうということも認識しておく必要があります。というより、ほとんどの場合その可能性が高いです。

 

共感が極端に欠如している人のことを「サイコパス」と言ったりしていますが、この「サイコパス」はビジネスや社会的に成功した人に多いとされています。会社のCEOだったり。現アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ氏も客観的に見てサイコパスと言われる思考・行動をしています。

 

何かを成し遂げるには「共感」というものは邪魔になると考えた方がいいかもしれません。

「天才」は「凡人」の共感力に殺されるわけですから。

 

勘違いのないように言っておきますが、社会性を持って生きるということは人間には大切なことなので、基本的には「共感」がないと社会が崩壊してしまいます(でも、実はそうはならないのですが…)。なので、「共感」が全く必要ないという話ではなくて、天才が「天才」として才能を発揮するには「共感」が邪魔になる場合が多いということです。

 

 

イチロー選手は子供の頃に「あいつプロ野球選手になるんだって」と笑われたそうです。これだけを聞くとその笑った人は今どう思っているんだろうね?とか、そんなこと言うなんて酷いとか思うのかもしれませんが、イチロー選手の通っていたバッティングセンターの人は、イチロー選手は「特に秀でた子ではなかった」ということを言っています。

 

なので、直接「お前なんかがなれるわけない」という風に言って笑うのはどうかと思いますが、少なくとも心の中で「無理じゃね?」って思う人はいるんじゃないかな?と。それは、自分自身に当てはめても同じことで、自分が「他人と比較して」何かに秀でていないと思ったらその時点で「無理」だと思う人は多いということです。

 

でも、イチロー選手は「無理」だと思わずにやり遂げたんですよね。

イチロー選手の中の「凡人」的思考に殺されなかったわけです。

 

 

という風に、色々と考えを巡らせていくと楽しいですよ(笑)。

 

「天才を殺す凡人」に対しての批判的な感想で「作者は自分のことを天才だと言いたいだけ」みたいなのがありました。私は実際は読んでないので知りませんが(笑)、もしそういう風に書かれていたとしてもこの本の内容を考慮すると「みんな天才(の可能性がある)」と言っているだけでしょう(笑)。

 

だって、「天才」も「秀才」も「凡人」もみんなの中に共存しているんだから。

みんな自分が「凡人」だと思い込んでいるだけなんですよ。