おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

毎年やって来るツバメ

やっと、暖冬らしくなってきました(笑)。

 

どうも、おっさんです。

 

唐突ですが、私の家には子供の頃から毎年「ツバメ」がやって来ます。

(私が生まれる前からなんでしょうが…)

巣作りをして、卵を温めて、子育てをしてまた旅立って行きます。

 

それが、ずーっと続いているということです。

田舎では当たり前の光景かもしれませんね。

 

単純に、「生き物ってこういうものなんだ」としか思っていませんでしたが、そもそも、その生き物の行動ってなんなの?って思いませんか?思わない?私だけですか?(笑)。

 

まぁ、DNAに刻まれているからそういう行動をするんですよって話なんですが、じゃぁDNAにはどうしてそういう行動が刻まれているんですかっていう話で…。

 

ツバメって言っても、この世の中にいきなり「ツバメ」が現れたわけじゃなくて、地球に生物が出現してそれが巡り巡って「ツバメ」になったわけですよね?つまり、毎年、私の家でツバメが命を繋いでいるのと同じように、巡り巡る命が「ツバメ」になったということです。

 

私たちはこれを「生きる」という概念で表しているんですが、「生きる」って何なんですかね?

 

それを考えてずーっと辿って行くと、「宇宙の始まり」に行き着くわけです。宇宙の始まりって言うと「ビッグバン」なんですが、これ実は「無から有」的な事ではなくて空間の揺らぎから今現在の宇宙が生まれたということらしいですね。

 

そう考えると、宇宙全体が「生きている」ということになります。

 

ビッグバンから銀河が、そこから太陽系が生まれて地球に生物が誕生して…という今までの繋がりがあるわけです。その繋がりって基本的には一方向なわけで、私はそれを

 

「エネルギー」

 

だと考えます。(これもただの概念ですが…)

そのエネルギーの方向性を私たちは「生きる」という概念で表してるだけだということです。

 

じゃぁ、その「エネルギー」って何かと考えてみると、例えば「太陽」のエネルギーを考えてみると、核融合で熱や光等を発しています。それは「発している」わけですから内から外への一方向です。

 

つまり、「生きる」ということの基本は

 

「内から外へ発する」

 

ということなのでは?

と私は考えます。

 

で、これを私たちの社会では一般的に

 

「表現する」

 

と言います。

であれば、「生きる」ということは「表現する」ということだと言えますね。

 

ツバメは毎年私の家にやってきて「表現」している。

その「表現」を私は子供の頃から見てきている。

 

ということです。

 

その「表現」は生き物によって違ってくるし、私たち人間でも人によって違ってくるんですが、上記の通りに「表現」とは「内から外へ」という方向性だということは変わらないんですよね。

 

そういう法則性に素直に従うならば、「内から外へ」という方向性が「生きる」という基準になるのではないかと私は考えています。