おっさんの外部記憶装置

40代おじさんのブログ

「〇〇を意識する」というアドバイスについて

どうも、おっさんです。

 

ゴールデンウィークですね。

走ってますか?

私も今日も走って来たのですが、いつもよりすれ違う人多かったです。

(とは言っても、田舎なので3人ぐらいなんですが笑)

 

今日のデータ。

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フェニックスでの最速タイム以来の1時間22分台。

タイム差は19秒。もう誤差ですね。

 

今日は本当に調子が良くて、ほぼ思い通りに走れました。

脚がめちゃくちゃ良く回って、平均ケイデンス91rpm。

 

本当に調子が良い時に感じることなんですが、自分が何か考えて速く走れるというわけではなくて、身体が勝手に最善の形で動いていることがわかります。心肺もほぼ「苦しい」という状況にはならず、何も走りに対して制約がかかることもないので、この状態の時は本当に「気持ちいい」です。

 

よく「〇〇を意識しよう!」みたいなアドバイスありますよね?

ペダリングに関することや、筋肉の部位とか体幹とか…

 

私の感覚では何かを意識している場合は、何かしら調子が良くない状態です。

そういう時はタイムが出ません。

 

そもそも、この「〇〇を意識する」って何を根拠に言っているのか?

 

それは、速く走れる人がその「〇〇」を意識しているからですよね。

でも、それって意識しているから使っているのでしょうか?

 

私も「体幹」使っていると言われれば使っているし、「肩甲骨」とか「股関節」とかそう言われたら使ってるなと感じます。ただ、それは「意識しているから使えている」というわけではないんですよね。

 

意識してないけど使っている

 

というのが実感です。

速く走れる人がそれ以外の人に「どんな感じ?」と聞かれて、そう言われたら「〇〇を使っている」と意識した部分を「〇〇を意識している」と言い換えているだけなのでは?それが「〇〇を意識するように!」って広まっているのでは?

 

私が実感したことでは、「肩甲骨」なんかは最近まで意識したことありませんでしたが、ネット上で「肩甲骨を意識する」というアドバイスを見て自分の走りを見返してみると「あれ?言われてみたら肩甲骨使ってるじゃん」となりました。別に意識してないのにその状態だったんですね。

 

で、これは私の仮説なんですが、速く走れるようになってくるとその「〇〇を意識する」と言われているような部分が「顕在化」してくるのではないかな?ということです。意識するかしないかは関係なく、速く走れるようになった人は、自然とそういう部分を使うようになっているということです。(その部分を使わないと速く走れない)

 

どうして「顕在化」してくるのかというと、その部分を使わないと速く走れないとすれば…

 

その部分のパワーが上がってくるから

 

ということですね。

つまり、速く走れる人が「〇〇を使っている」と言っているのは、パワーが上がって顕在化した部分なので、意識するかしないかの問題ではなくて、単にパワーが上がって顕在化した部分に「意識して〇〇を使っている」という錯覚を起こしているのではないか?ということです。

 

前に書いた、初心者が「股関節が使えていない」と錯覚するのは「股関節のパワーが少ないから」説の逆バージョンです(笑)。というか、これ表裏一体ですよね。

 

パワーは心肺能力から来ているというのは事実なので、心肺能力を上げて行くとパワーが上がります。そうすると、各部の走る為に使われる部位がパワーアップによって「顕在化」していって、速く走れるようになった人が「意識して〇〇を使っている」と錯覚するという仮説。

 

例えば、体幹に関しても速く走れない時は「体幹を使うってこういうことかな?」と曖昧な意識の仕方だったのが、速く走れるようになると「体幹を使うってこういうことか!」とハッキリわかるようになります。「顕在化」したからですね。

 

「お腹に力を入れてペダリングする」って言われますが、速く走れなかった時に試しに「こういうことかな?」とやってみて「しんどい」と感じました。でも、速く走れるようになると意識してないのにお腹に力が入っているのがわかるし、別に「しんどく」はないしそのおかげで速く走れるのがわかるんですよね。

 

というように、「〇〇を意識する」というアドバイスは知っといても別に害はない(それに囚われ過ぎると害になる場合があるかも?)ですが、パワーが上がってから実際に体感して初めて理解できることなので、パワーが少ない時に試しても「出来ない」ということになります。

 

なので、やっぱり他人のアドバイスは話半分程度に聞いておいたほうがいいということと、ちゃんと自分で考えて(自分の感覚を信じて)走らないといけないなということですね。