どうも、おっさんです。
最近はそこそこ走れていて、先週も久々に3回走れました。
心肺能力も回復してきているので、良い感じになってきましたね。
某質問系サイトで、ブルベ(決められた距離を制限時間内に走る自転車イベント)に対して
”自分で決めたコースと時間で走ればいいんじゃ?”
みたいな質問がありました。
投票で選ばれたベストアンサーが
”「認定」があるかないかの違い、個人的な達成感や自己満足なら勝手にすれば良い”
ということでした。
そもそも、ブルベとはフランス語で「認定」という意味なのでそういうことなんですよね。そういうことなんですが、私はこのやり取りを「面白いなぁ」と思ってしまいました。
「認定」というイベントなんで、「認定」される為に走っているのは当たり前なんですよね。でも、どうして「認定」される為に走るのか?ああ、やっぱり出てきちゃいました「承認欲求」ですね(笑)。ちなみに、「承認欲求ですよ」っていう回答もちゃんとありました。
他の回答で
”規定を守って走って「認定」してもらうイベントなんだから、守る気がないなら参加しなければいい”
というのもありました。
まぁ、その通りですよね?でも、質問者はそういう意味で言ってないと思うんですね。
この質問の本当の意図はわかりませんが、ブルベに対してどういう見方をしているかというと、「ブルベって競争ではないんだから、自分で勝手にやればいいじゃない」ということだろうと思います。(一人で出来ることってことです)
つまり、「ブルベ」というイベントに参加するのは、自己満足ではダメで「認定」をもらうことに意味があるということですよね?という質問なのではないかな?と。
ブルベの主催者のサイトを見てみると、コースや工程表を公表していますので、自分で「非認定自己ブルベ」(言葉がおかしい笑)を開催することも可能です。「認定」されないのでただのロングライドなんですが(笑)。それじゃあ意味がないということになります。
こんな回答もありました。
”話す人もなくボッチだったらそれでいいんじゃない?”
面白いですねぇ。
この回答者は質問者に対して「お前はボッチだからだろ」と言っているのでしょう。逆に自分は「ボッチじゃないから」と言ってるわけです。ボッチじゃないから「偉い」とまでは言ってないかもしれませんが、「ボッチじゃない」アピールをするということは、それが「価値」があると思っているということですし、自分の方が「上である」と言ってるのと同義なんですね。(本人は意識していないでしょうけど、これって友人を自分の価値を上げる道具と見ているってことにもなるんですよね)
で、その根拠はやっぱり他人(友人等)に「承認されている」という満足感なんですよ。「承認される」ことに満足するということは「承認されない」ことに不満ということなので、「承認されない」ことは価値が低いんですね。なので、こういう人は「認定」が凄く重要だと思っているのかな?と考えました。
前に書いた
この記事の内容も根本的には同じだと思います。
ロードバイクを趣味で始めると、ネット等の情報から
ロングライド出来ないと一人前と「認められない」
という「思考」が出来上がっちゃう人がいます。
初心者で楽しく走れるのは60kmぐらいまでの距離なのに、ネットで「120kmは普通に走れる」とかいう情報を見ちゃうと、それをしないと「ダメなんだ」と思っちゃうんですね。
それを実行してものすごく「苦しい」のに「しなきゃダメ」と思っちゃうんです。
こういうのも、「承認されたい」という欲求からの行動なんですよね。
でも、この場合は誰かに「承認される」わけでもないので、自分自身が思い込んでるだけです。
自分が楽しい範囲で走ればいいだけなのに、自分で作り出した「他者」に振り回される。
結果、自分自身が「苦しい」という状況になっているんです。
みんながやってるから
これが当たり前だから
やらないと恥ずかしいから
etc…
自分が「楽しい」と思ってやるのなら別にいいと思いますが、こういう考え方だと「苦しい」方向へ行っちゃう可能性があるということです。自分が(すぐに)出来るかどうかはわからないですからね。
自分が「楽しい」という範囲で楽しめばそれでいいんですよ。
そのうえで自分なりに頑張ればいいんです。
他人と比べて「上」や「同じ」じゃないと「楽しくない」わけじゃなくて、逆に他人を目指すということが「苦しみ」に繋がっちゃう場合もあるんですね。あくまでも、自分が「どうしたいか」が重要です。
ブルベの話も同じことで、「認定された」から価値があるとか「認定されなかった」から価値がないとかいう話ではなくて、例えば同じ200kmを走ったのであれば認定のあるなし関係なく、どっちも「すばらしい」ということなんです。
だから、自己満足で良いんですよ。