どうも、おっさんです。
先月からグダグダと記事にしてきていますが、初めにこの
記事で書いたように、スポーツ自転車ブームの理由は「承認欲求」を満たすための、新たな価値観に過ぎませんよということなんですよね。どう見ても「自己実現欲求」の段階に入ったようには見えません。
では、そもそも「承認欲求」という欲求はどうしてあるんでしょうか?
どうして、「他人に認められたい」と思うのでしょうか?
私は、動物としての本能的な部分の欲求だと考えています。
動物は群れを作って行動しています。
何故でしょう?それは突き詰めると
「生きるのに都合がいいから」
なんですよ。
外敵から身を守るのにも好都合だし、繁殖もしやすくなります。
人間の場合も外敵から身を守る為とか、子孫を残すのにも都合がいい。
群れの中に居ることで「安心感」が生まれる。
逆に群れから離れると「不安感」が生まれる。
なので、群れの中に居ようとするのは本能的な欲求なんですよね。
人間は考えることのできる動物なので、例え群れの中にいたとしても自分が必要とされているかどうかを考えてしまいます。もし群れから「こいついらない」と思われたら、その群れの中に居られなくなるかもしれないですから。ただ群れの中にいるだけでは「安心感」は続かないんですね。
そこで、「他人に認められたい」という承認欲求が出てくるわけです。
群れの中で生きる場合に「認められている」状態の方が生きやすいという考え。
(遺伝子レベルで集団形成を促しているのでしょうか?)
人間の場合、一番小さな群れは「家族」ですよね。
大抵の場合、家族間は愛情で結ばれています。(例外もありますが…)
なので、そんなに大きな「承認欲求」を求める行動は発生しないでしょう。
問題は、それより大きい群れ(集団)での話ですね。
自分が褒められると「嬉しい」と感じます。
元々、これが承認欲求が満たされた状態です。
でも、何でもかんでも褒められるわけではありません。
承認欲求が強いと「褒められよう」として行動するようになります。
ここがポイントです。
自分の行動 > 褒められる > 嬉しい(満足)
これが、元々ある流れです。
でも、これが
褒められたい(不満) > 行動 > 褒められる > 嬉しい(満足)
こうなっちゃうんですね。
何故こうなるのかというと
「褒められたら嬉しい」
ということを知っているからです。
つまり、「先読み」の行動になっているんです。
しかも、これほとんどの場合「無意識」なんですね。
この記事
で書いていますが、
「脳」からの指令 > 反応 > それを意識
というのが人の行動の流れです。
記事の通りに、これをなるべく意識が邪魔しないことが、運動をスムーズに行うために必要なんですが、人は慣れたことだと基本的に意識は邪魔をしません。それは運動だけじゃなくて「思考」も同じなんですね。
受けた情報を意識に上げることなく脳内で処理してます。
なので、「よく考える」という行動は「無意識」で処理されている思考を、「有意識」まで上げてきて思考するということなんですね。「無意識」はイメージで処理されているのが、「有意識」は言語で処理します。運動の例でもわかりますが、「無意識」の方が処理速度が速いです。なので、意識(有意識)になるべく邪魔されないようにした方が能力が発揮できるわけです。
「無意識」というと、「勝手に行動する」と考えるかもしれませんが、「有意識」が認識しないだけで、ある程度の合理的な行動をします。それはどうしてかというと、人は生まれてきてから体験したことを脳内で処理して学習しているからですね。その学習した範囲内で「無意識」も行動するのです。
思ったことをすぐに口にして失敗する人っていますよね。
あれは、「無意識」が「有意識」へ吐き出した情報をそのまま言葉にしてしまうからです。
普通は、「有意識」へ上がって来た時点で、言うか言わないかを判断します。
「承認欲求」は「褒められたい」という欲求が「無意識」から吐き出されているということです。
本来は、自分の行動が「褒められる」から嬉しい(満足感がある)のですが、それが「褒められたい」では本末転倒になってしまい、初めに不満が来てしまうので行動の結果が伴わないと余計に不満になってしまいます。
で、この「褒められたい」も単純に褒められるような行動を起こして「褒められる」というよりは、「褒められるような状態」に自分を置いて「褒められる」と同じような満足感を得る。という複雑な思考になってきています。
自分の行動の結果、「褒められる」という満足感を得られない場合もあるので、確実に「褒められる」状態を自ら創り上げるということですね。しかも、この場合他人から実際に褒められなくても、脳内で満足感を得ることができます。
それは、既に評価されているモノを手に入れるという行為です。
(評価されそうなモノとかでもいいかもしれません)
ロードバイク界隈で言うところの「上位グレード」の機材を手に入れるということ。
(上位グレードを買う人がみんなそうということではありません)
評価されているモノを手に入れれば、自分自身も評価された(褒められた)という満足感が生まれます。面白いですよね。別に自分が評価されているわけでもないのに、他人から評価されているモノを所有すると、自分が評価されたと思い込むんですから。あ、別に「俺は評価されたんだ!」と思うってことじゃないですよ?それと同じような満足感が得られるということです(実際に「俺が評価されたんだ!」って思っていたらそれはそれでヤバいです笑)。
自分とその評価されているモノを同一化しているんですね。
安易に承認欲求を満たすことができます。
ここで一旦、私が上で書いていることを思い出しましょう。
「承認欲求」って本来は「群れの中で生きやすくなるため」に必要だと書きました。
もちろん、現代社会でも所属集団で認められることとかは必要です。
でもそれは、自分自身の能力で勝ち取るものです。
では、モノを買って満足する「承認欲求」ってなんなの?って思いませんか?
私は、それって本来の「承認欲求の満たし方」ではないと思ったんですよね。
あってもいいとは思いますが、そっちにばっかり引っ張られても…と考えます。
まぁ、それで満足感を得られて、自身のモチベーションに繋がる場合もあるので、それはそれで良いこともあります。ただし、そういう「承認欲求」を満たす過程での、下位グレード機材を酷評する行為はやめてもらいたいと思います。自分の承認欲求を満たす為の嘘なんですから。
承認欲求関係なく機材を合理的に選びたい人には、そういう情報が邪魔になるんですよね。
とは言っても、無意識下で行われている思考でもあるので、自分で気付かなければ起こってしまうことです。仕方のないことでもありますよね。
私ができることと言えば、そういう承認欲求に引っ張られない機材の選び方を提案することとか、機材じゃなくて自分自身の能力を上げることを伝えることですかね。
承認欲求を掘り下げると、生きやすくするために必要な欲求ということがわかるのですが、自分が何かを「欲しい」と思った時に、それは「必要だから」欲しいと思ったのか、「承認欲求」を満たすために欲しいと思ったのか、一旦立ち止まって考えることも大切だなと思いました。